本日の御書

本日の御書 されば如説修行の法華経の行者には三類の強敵打ち定んで有る可しと知り給へ、されば釈尊御入滅の後二千余年が間に如説修行の行者は釈尊天台伝教の三人はさてをき候ぬ、

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【御書本文】
されば如説修行の法華経の行者には三類の強敵打ち定んで有る可しと知り給へ、されば釈尊御入滅の後二千余年が間に如説修行の行者は釈尊天台伝教の三人はさてをき候ぬ、末法に入つては日蓮並びに弟子檀那等是なり、我等を如説修行の者といはずば釈尊天台伝教等の三人も如説修行の人なるべからず(如説修行抄p504)

【通解】
したがって如説修行の法華経の行者には三類の強敵が必ず競い起こると知って覚悟を決めることである。ゆえに釈尊の滅後から二千年の間に如説修行の行者は、釈尊・天台・伝教の三人はさておいて、末法に入ってからは日蓮とその門下の弟子檀那がその行者である。
われわれを如説修行の者であるといわなければ、釈尊・天台・伝教等の三人も如説修行の行者ではなくなってしまう。

【先生の指導から】
法華経の行者には、三類の強敵が、必ず競い起こってくる。三類の強敵がなければ、法華経の行者ではない─こう断言されているのである。
“どうして非難されるのか”と思う人間は、まず、経文を知らない。それに、古今東西の英雄、賢人の生きた軌跡を知らない。浅はかな人間の胸の内であり、愚かな行為というほかない。