本日の御書

本日の御書 我が父母を人の殺さんに父母につげざるべしや、悪子の酔狂して父母を殺すをせいせざるべしや、悪人寺塔に火を放たんにせいせざるべしや、一子の重病を炙せざるべしや(開目抄下p237)

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【御書本文】
我が父母を人の殺さんに父母につげざるべしや、悪子の酔狂して父母を殺すをせいせざるべしや、悪人寺塔に火を放たんにせいせざるべしや、一子の重病を炙せざるべしや(開目抄下p237)

【通解】
わが父母を、人が殺そうとするのを知って父母に告げないでいられようか。悪子が酔い狂って、父母を殺そうとするのを見て止めないでいられようか。悪人が寺塔に火を放って焼いてしまおうとするのを、とめないで放っておかれようか。一子の子供が重病の時にいやがるからといって炙をすえないではおかれないであろう。

【先生の御指導から】
慈悲の対極にあるのが「詐りの心」です。相手の悪を知っておきながら放置する「詐りの心」が社会を覆ってしまえば、欺瞞が当たり前になり、人々が真実を語らなくなり、やがて社会は根っこから腐っていきます。
思想の柱が倒れれば、社会も崩壊します。宗教は社会の柱です。その宗教界にあって、「人間を隷属させる宗教」「人間を手段化させる宗教」が横行することは、言うなれば、人々の魂に毒を流すことです。ゆえに、大聖人は「法華経の敵」と断固、たたかい抜けと仰せなのです。