勤行や活動も、具合の悪い時は、やらないことです。

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勤行や活動も、具合の悪い時は、やらないことです。なぜなら、池田先生が、「信心は義務ではない。幸福への権利」と指導されているように、「やらなければならない」と思ってやると「義務」になり、重荷になり、苦しくなるからです。勤行・唱題は、生命を強くするための、「命のトレーニング」といえるでしょう。少しずつでも、命を強くするために、「祈る」ことが根本です。「絶対に治る」「絶対に治りたい」「治してください」と願いながら、題目をあげることです。しかし、体調が悪い時に、無理なトレーニングをやれば、かえって体をこわしてしまうように、勤行も具合が悪くてできない時にはやる必要はありません。まして、活動しなければ、折伏をしなければ「宿命転換はできない」などと思い込まないことです。重荷になるだけだからです。あなたが病気を治して、健康になった姿を示すことが、折伏になり、仏法の証明になるのです。今、あなたが仏法は素晴らしいと語っても、相手に「感応(生命で感ずること)」しないでしょう。かえって、成果にあせって、信仰の押しつけになってしまい、不信を招くことになります。信心は「頑張るため」にやるものではなく「頑張っていれば変われる」のでもありません。生命・生活が「変わる」ための実践なのです。

「治るのだろうか」とか、「どうしたらいいのだろうか」と不信だったり迷っていたのでは「変われない」でしょう。

日蓮大聖人は「元品の無明を対治する利剣は『信』の一字なり」(751ページ)と仰せです。生命の根本の迷いを断ち切るのは御本尊を「信」ずることしかないのです。「絶対に治る」と信じることだけが、あなたを「蘇生」させるでしょう。そして少しずつでも「治そう」という題目をあげていけば、必ずよくなっていきます。よくなってきたら、自分ができる範囲で活動をしていくことはかまわないでしょう。皆さんは、あなたを早く元気にしようと、「(勤行・唱題や活動を)頑張ろう」と励ましてくれるでしょうが「だから頑張らなくちゃ」とは絶対に思わないことです。今まではそれで失敗したのですから、どこまでも自分のペースで「頑張る」ことです。そして、生命が強くなれば、他の問題はすべてよい方向へ変わっていくでしょう。もちろんそうした具体的な願いを祈っていくことは自由です。