われわれには、末法万年にわたる一閻浮提広宣流布という目的があり、目標がある。
ゆえに、これ以上の高い目標をもった人生はない。
しかし「広宜流布、広宣流布」とただ口先のみで論じたり、また観念論に走ったときには、空転になってしまうことを忘れてはならない。
「広宣流布」といっても身近にある。「幸福」といっても身近にある。
なにか遠くにあるように錯覚してはならない。
すべての道理は千里の道も一歩からであり、結局は、すべての作業は身近にあることを確認していかねばならないのである。
勤行をすることも広宣流布への修行である。
折伏も指導も、また教学の研麿も、また組織活動の一つひとつも、みな広宣流布への道である。大小さまざまな会合も、打ち合わせもみな同じである。