「河合師範ご指導」より…
勤行や活動も、具合の悪い時は、やらないことです。なぜなら、池田先生が、「信心は義務ではない。幸福への権利」と指導されているように、「やらなければならない」と思ってやると「義務」になり、重荷になり、苦しくなるからです。勤行・唱題は、生命を強くするための、「命のトレーニング」といえるでしょう。少しずつでも、命を強くするために、「祈る」ことが根本です。「絶対に治る」「絶対に治りたい」「治してください」と願いながら、題目をあげることです。
しかし、体調が悪い時に、無理なトレーニングをやれば、かえって体をこわしてしまうように、勤行も具合が悪くてできない時にはやる必要はありません。まして、活動しなければ、折伏をしなければ「宿命転換はできない」などと思い込まないことです。重荷になるだけだからです。あなたが病気を治して、健康になった姿を示すことが、折伏になり、仏法の証明になるのです。今、あなたが仏法は素晴らしいと語っても、相手に「感応(生命で感ずること)」しないでしょう。かえって、成果にあせって、信仰の押しつけになってしまい、不信を招くことになります。信心は「頑張るため」にやるものではなく「頑張っていれば変われる」のでもありません。生命・生活が「変わる」ための実践なのです。
「治るのだろうか」とか、「どうしたらいいのだろうか」と不信だったり迷っていたのでは「変われない」でしょう。
心が軽くなりました。心療内科の先生にも、会合はでなくていいよ。とずっと、言われて来たのですが、ただ、参加しなさい。と中間の幹部さんが、おっしゃり 成果主義なのが、本当は伝わります。真心からではないのが解るので、内心イヤは思いしか残りません。悩んでいます。成果を出して生活か忙しいので、頑張って出しても 別に励まされたくてやってる訳ではないですが心の中では、何となく嫌な寂しい思いになります。