人間の心というものは、変化しやすく微妙なものである。
功徳を受けたときは感謝の心で燃え立つが、いつしかその感謝も忘れ去ってしまう場合が多い。
御本尊への限りなき感謝の信心があれば、功徳はさらにまさるものである。
心の移ろいやすさを互いに心していきたいものだ。
功徳には顕益と冥益があるが、大聖人の本因妙の仏法では、冥益が根本であるといってよい。
大木は年を経るごとにその年輪を重ね、広げていく。
と同様に、信心修行の功徳の年輪も大木と同じように、時とともに増加していくものである。
冥益であるがゆえに、この功徳の増大も、現実の風波におおわれて目には見えない場合もあるにちがいない。
しかし、疑って過したならば、自分が損するのである。
信心の年輪とともに、功徳の年輪もかならず拡大していることを確信していただきたい。
大木になれば、高きがゆえに風雪をより強く受ける場合があるだろう。