体験のない信心は観念(頭でわかっているだけ)になってしまいます。決めて祈って努力する。上り坂の信心をしていきましょう。
言われたからやっている、という受け身(惰性)の姿勢だと、信心が重荷になり、勤行や会合に出ることがいやで苦しくなり、ちっとも楽しくなくて、グチと文句ばかり出るようになってしまうのです。
「無疑曰信(疑い無きを信という)」ということばがありますが、信ずるとは疑わないということで、どうすれば疑わないかといえば、自分が体験したことは疑うことはできません。体験をつかむためには、決めて祈って動く以外にありません。
空っぽのボートは波にゆれ動き、風がくればひっくりかってしまいますが、大きな石を一つ積むと、ボートが深く沈んで動かなくなります。それと同じで、信を深めるためには、体験を積み重ねていくしかないのです。
信ずるとは疑わないということで、どうすれば疑わないかといえば、自分が体験したことは疑うことはできません。体験をつかむためには、決めて祈って動く以外にありません。
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