私と妻は、全ての同志の「健康勝利の前進」を毎日、真剣に祈っている。
なかには、病と懸命に闘っておられる方もいらっしゃるだろう。しかし、病気だから不幸なのではない。病気だから立ち上がれないということはない。妙法を持(たも)った人間が、不幸になるわけがない。
スイスの哲学者ヒルティは言う。
「病気は、より高い人生の階段を登ってゆく通路にすぎない」
病気をした人は、その分、人のことを思いやれる。慈愛が深まる。病気は、いろいろなことを教えてくれる。死を見つめたり、生きる意味を考えたり、人生のかけがえのなさが見えてくるものだ。すべて、より高い人生の頂へと登っていくための通路なのだ。教科書なのである。いわんや、妙法を根本にすれば、一切が「幸福のエネルギー」となり、「向上の糧」となっていくのである。
戸田先生は、大確信をもって言われた。
「御本尊の利益は生命力が絶対的に旺盛になるということである。生命力が旺盛であれば、悩みだ、苦しみだ、貧乏だなどと、いろいろな愚癡をいう世界が、明るい楽しい世界に変わる」
「題目の力は偉大である。苦しい業を感ずる生命が、あたかも美しい花園に遊ぶがごとき、安らかな夢のごとき状態に変化するのである」
苦しい時こそ題目。行き詰まったら題目だ。題目をあげれば、生命力がわく。勇気きがわく。状況も変えていける。信心は 一切の勝利のエンジンなのである。