池田先生ご指導、聖教新聞他より「苦しい」についてパート3
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命はいつだって変えられる。どんなに苦しい現実が続こうとも。泣きたくなるような悲しみがあろうとも。必ず「絶対に大丈夫だ」という確信が生命の大地から噴火する瞬間が来る。燃え上がるような希望が。
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君には、自分で誓った広宣流布の道があるはずだ。どんなに苦しいこと、悩むことがあったとしても、自分の広宣流布への誓いの炎を消してはいけない。もしも今、広宣流布への思いが二の次になっているとしたら、それは既に魔に食い破られている姿だ。「仕事の魔」「金の魔」に負けていることになる。
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自分自身苦しければ苦しいほど、広宣流布を祈り、学会活動し、折伏に動くことだ。広布を忘れれば、エゴになる。広布も戦いに転じれば、煩悩即菩提の原理で、悩みが大きいほど偉大な宿命転換ができる。
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苦しい時は下を向かず、夜空を見上げた。星が語り掛けてくる。どんなに困難にみえても、必ず越えられる。
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だから今、どんなに苦しい境涯であっても仏法の原理から歯をくいしばって戦えば、何倍、何十倍、何百倍と広野が開けていく。
又行き詰まる、そしてまたひろがっていく、それを繰り返すのです。その時に題目を忘れてはならない。全部必ず解決します。題目をあげておかないと長い人生において非常に困ることになる。
唱えられる時に唱えておきなさい。題目とは貯金です。充電です。人は死ぬまで様々な苦悩に直面するものです。思ってもいなかった時、題目をあげていた人と、いない人の差がはっきり現れるのです。あげている人は変毒為薬し、あげていない人は奈落に落ちていく。
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「苦しい」「大変だ」ーーだからこそ!と決意を新たにして一にも二にも題目を唱え抜いていくのです。 題目で勝つのだ!」何と力強い言葉か。題目こそ、最極の勝利の利剣である。
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人生を振り返ってみて、一番幸せな時はいつか。 それは「戦っている時」である。 その時は苦しいようであっても、後から「あの時が一番輝いていた、幸せだった」とわかる。 完成した後よりも、建設の時のほうが楽しいし、幸せであり、価値がある。 結果を目指して奮闘している、その本因の姿にこそ、「幸福」は躍動しているのである。
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「題目の力は偉大である。苦しい業を感ずる生命が、あたかも美しい花園に遊ぶがごとき、安らかな夢のごとき状態に変化するのである」
苦しい時こそ題目。行き詰まったら題目だ。題目をあげれば、生命力がわく。勇気きがわく。状況も変えていける。信心は一切の勝利のエンジンなのである。
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こんなに苦しい、こんなに一所懸命題目を唱えているというところで退転してはいけない。もう一歩、もう少しやればいいのだ。そうすると宿命の転換になってくる。
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信心の極地は、生きていることそれ自体が楽しいのである。みんなも、早くそうならねばならぬ。折伏するのもあたりまえ、そのような境地になれば、信心の極意に達している。反対に、おつとめが苦しい、おつとめの時間が長い。折伏が苦しいと思うものには、御本尊様の功徳が泉のように出てこない。
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