池田先生ご指導

「歓喜の信心」「感謝の信心」に、福運も功徳もいやましていく。いつも不平、不満をいだき、義務感で動いている重い心の人には、功徳は微弱である。

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歓喜の信心」「感謝の信心」に、福運も功徳もいやましていく。いつも不平、不満をいだき、義務感で動いている重い心の人には、功徳は微弱である。弾む生命で、信心のことは喜び勇さんで実践しようとの一念の人に、功徳は増しゆくのである。
この一念の違いは微妙なものえである。喜びの心の出発か、不平の心の出発か--最初はたいした差はないようにみえても「チリも積もれば山となる」で、時とともに、大きな差がでてくるのである。


対話も、結論するに、御本尊への勤行・唱題に導くことにある。いくら明快な理論で論じても、また相手が納得したからといっても、それだけでは意味がない。あくまでもその目的は、その人が信心、勤行を深めていくための実践につながらなければならい。
また、指導をうける人も同じである。質問と説明だけでわかったということの繰り返しでは、観念であり、真の解決はないからである。