ナポレオンのイギリス征服の野望を、二度にわたって破った名将ネルソン。
彼は、決戦の前夜、副官が、もしも、我々が成功したら…と言い出すと、厳しく語ったという。
何を言っているのか。今は「もしも」などということは許されない。我々はきっと勝つ。必ず勝つ!
「幾多の生命流転の途上に、皆誤った生活が生命に染まって、一つのクセをもつことになる。そのクセをつくるもとが、貪(むさぼり)、瞋(いかり)、癡(おろか)等のもので、これによって種々に染められた生命は、宇宙のリズムと調和しなくなって、生命力をしぼめていくのである。このしぼんだ生命は、宇宙の種々の事態に対応できなくて、生きること自体が苦しくなるので、すなわち、不幸な現象を生ずるのである」
折伏こそ人生最高の行為であることを自覚し、みずから進んで折伏にいそしまれんことを自覚し、みずから進んで折伏にいそしまれんことを希望する。
「慈無くして詐り親しむは即ち是れ彼が怨なり」と。また「彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親」と。御本尊の功徳を知りつつ、不幸な人を身ながら、そのまま黙って放置しておくことは、利己主義であり、弱者であるといわれてもやむをえまい。よく、入信して御本尊の功徳を知った人が「なぜ、もっと早く教えてくれなかったのか」と後悔する。またかつて厳しい憎悪をむきだして反対した人が、いまでは大御本尊の偉大さを賛嘆している。この実相は、いかなる人といえども、命の底では幸福を求め、仏法を求め、折伏を待っていることを示す証明である。仏法は勝負である。大御本尊のお力は絶対であえい、日蓮大聖人の大生命哲理は、いかなる科学もおよばない永遠不滅の大哲理なのである。したがって私どもは、日蓮大聖人の弟子として、子供として、その自覚と信念に立って不幸な人々の味方となり。力強い折伏の第一歩を踏み出そうではないか。