仏法のために、広宣流布のために、重ねた苦労は、流した涙は、拭った汗は、全部自分の福運です。
永遠の生命の財産になります。それを本当に確信できるかどうかが、実は、一生成仏できるかどうかの決め手なんです。
もし、その確信がなければ、生命の因果の法則も「冥の照覧」も信じられないことになる。
それは「己心の外」に法を求めていることであり、仏法者の生き方ではありません。
そうなれば、周囲の賞讃や直接的な見返りがあれば頑張るが見えないところでは手を抜き、楽をしようという考え方になってしまう。いかに口で仏法を語ろうが、心が外道に墮してしまえば、信心の後退です。
それでは、功徳もなければ、境涯革命も、真の幸福もありえない。したがって、信心はどこまでも清らかに、純粋に、貫き通していただきたい。その人が、本当の勝利者なんです。