生命の内奥には「元品の法性」と「元品の無明」が存在する。すなわちわれらの胸中の一念には、固定したものはない。青空があり、嵐があり、太陽があり、雪があり、曇天がある。
「元品の法性」とは、信心した生命の青空のような状態であり、これは、われわれをとりまく万象のうえに梵天・帝釈の働きとして現れる。「元品の無明」は、第六天の魔王として現れ、嵐のごとくみずからも苦悩し、人をも苦悩させゆく生命の働きである。
嵐や曇天の生命を青空へ、太陽の輝きへと、胸中の宇宙を変えていくのが、勇気ある「信心」の二字なのである。
十年間、信心しても、十一年目に退転している人もいる。五十年間、信心しても、五十一年目に退転していく人もいるかもしれない。
退転へといざなう原因や環境もさまざまである。社会的な地位に恵まれたゆえに、破仏法への道を歩み始める人もいる。ともあれ、「一生成仏」といえども、それを達成することは、決して容易なことではない。どうか皆さま方は、一生成仏の完結の日まで絶対に退転してはならない。