池田先生ご指導

法華経の結経である普賢経には「一切の業障海は、皆妄想より生ず 若し懺悔せんと欲せば 端座して実相を思え 衆罪は霜露の如し 慧日能く消除す」とある。

仏法は因果の法則である。過去に悪業の因をすでにつくっている場合、時間をさかのぼってその因をなくすことはできないし、仏といえども業を消してあげることはできない。
このことは大聖人が御書で種々御教示されたうえで、もしそのとおり実践しないで地獄に堕ちたとしても「日蓮をうらみ給う事なかれしり候まじきなり」等と仰せられている言葉に厳然と示されている。しかしこの冷厳な法理を根本とする一方で、懺悔滅罪ということも説かれている。
ここから、御本尊あるいは日蓮大聖人(人法一箇であられるから同じことだが)に謝って罪を許していただくかのような誤解がされていることも少なくない。仏様といえども、許す許さないの問題ではないことは前述したとおりである。それでは懺悔とはどういうことで、なぜ、懺悔できるのであろうか。これは懺悔について説かれている経文から見てみなくてはならない。
法華経の結経である普賢経には「一切の業障海は、皆妄想より生ず 若し懺悔せんと欲せば 端座して実相を思え 衆罪は霜露の如し 慧日能く消除す」とある。
実相とは妙法であり、これを日蓮大聖人は三大秘宝として顕わしてくださったのである。ゆえに「此の砌(みぎり)に望まん輩は無始の罪障忽ちに消滅し三業の悪転じて三徳を成ぜん」と仰せられているのである。
はしょった言い方をすれば、罪業を消すことのみにとらわれているのは正しい信心の姿勢ではなく、大御本尊を拝せる大歓喜を胸中にたぎらせていくことである。その自身の内の歓喜と生命力が、あたかも太陽の熱と光で霜露が消え闇が滅するように、罪障と煩悩を消滅させるのである。

  1. わさもん より:

    上の一文「法華経の結経である普賢経には … 」は、小説『新・人間革命』のものということですが、何巻の何ページに出てくるのか 教えていただけますか?

Translate »