指導である以上、相手に納得のいくようにしてやらなければならぬ。
人間は、心から納得すれば、自分からすすんで行動する。自発の行動には喜びがある。喜びの「心」が功徳を生み、結果を生む。一方的な指導や、自分しかわからない理屈、裏づけのない話で、人の心をつかめるはずがない。
要するに、御本尊を信ずる力と、慈悲とに満ちて、友として指導するものこそ、指導者の自覚を得たものというべきではないか」
「友として」と言われている。命令主義ではない。対話主義であり、“ともに目標に進もうではないか”と希望を「指さし」、幸福へと「導く」指導主義である。
『戸田城聖全集』第一巻