信仰に励んでいて起きてきた悩みは、過去に長い間縁してきた宗教の教義や本尊の誤りが、毒となって生命にしみこみ、生命を弱くゆがめて、不幸になるクセ(宿業)となってしまい、それが出てきたものなのです。しかし、どんな宿業も正法を信ずることによって軽く受けて消滅させることができるのです。
「ふだんボロ自動車に乗っている人が、一度、新型のすばらしい自動車に乗ると、もうボロ自動車に乗る気にはならない。信心も同じである。一度、最高の法である御本尊を信じて、妙法生活を体験すれば、信心する前の生活はお先まっくらな生活であり、本から落ちたサルのような生活であったことがよくわかって、二度としっかりした依書をもたない生活はしたくなくなる。だから、この無人最大の生活法(大聖人の仏法)を人にすすめるのである」
「世間の人びとの常識では、とうてい不可能と思いこんでいることを可能にする力が御本尊にはあるのです。ただあきらめて、不可能と思っている人は、妙法の力を知らない人たちです。すべてを可能にする人は、その妙法の力を引き出すことのできる人です。
無量の力を御本尊が秘めていることを、大聖人は明確に教えていらっしゃる。これを信じないかは、私たちの問題です。まず、強盛な祈りによって、不可能を可能とする実践が勇んで出てこなければんばりません」