南無妙法蓮華経は宇宙のリズムの音声である。ゆえに、南無妙法蓮華経と唱えるとき、その生命活動は、大宇宙のリズムに合致して、なんら障りなく、あたかも波乗りを楽しみがごとく、幸福生活をうることができる。しょせん、人生の不幸とは、誤った法を信ずるゆえに、大宇宙のリズム合わず、不協和音を発している結果にほかならない。したがって、だれびとたりといえども、生命の奥底では、南無妙法蓮華経を唱えることを欲しているのである。一度折伏された人が、どんなことをいって理屈を並べようとも、いざ自分自身がどうにもならない悩みにぶつかったときに、南無妙法蓮華経を思い出すという例は枚挙にいとまがない。学問で得た知識や理屈も、社会的地位を鼻にかけての意地も、結局、命がけお問題にぶっかったときには、たちまちはげ落ちてしまうメッキにすぎない。生命の本源をつくっている地金は、南無妙法蓮華経である。もったいないたとえであるが、犬がワンワンと鳴くように、赤ん坊がオギャーッと泣くように、南無妙法蓮華経と唱えることが、もっともしぜんな、生命の本能的な語言音声なのである。