折伏をしている人、学会活動、組織活動をしている人、この最も尊き同志を、最も尊敬し、最も感謝し、最も大切にしていきなさい。
折伏の行をなす者は、仏の使いとして御本仏からつかわされた者であり、御本仏の行を、その代理として行ずる者であるから、その人の日常は御本仏に感応して偉大な生命力涌く出して、いかなる困難にも打ち勝ち、その顔は生き生きとし、体は元気に満ちる。
たしかにそうである。諸法実相と法華経にはある。生命の真実は現実の姿に表われる。
闘っている人は元気である。福運もつく。要領を使って戦いを避けている人は、表情もどことなく陰険で、目に輝きがない。自分は号令をかけるだけで、自分は苦労を避ける幹部も同じである。生命は沈滞し、濁り、やがて、清浄な学会の世界にいられなくなってしまう。
大聖人・日興上人の当時、直接に訓育された門下でさえ、退転者、反逆者が次々と去っていった。いわんや一千万の中から、おかしな人間が出るのはやむをえない。
例えば、ご飯に腐ったものがはいれば食べられない。清らかな世界に、腐ったものがあれば、全体まで影響を受ける。その意味で、腐ってしまったものはいないほうがいいのである。