この妙境としての御本尊は、ただただ、末法の私達の信心の二字の中に在って、余処にはないのである。 いかに、信心が大切であるかは、どれほど言っても言い尽くせるものではない。

シェアする

三世諸仏といっても妙法を信受する衆生の信心の一念の中にあることを明かされている。妙法を信ずる衆生の生命の内に備わる仏界の生命そのもの。


我が生命が妙法の当体であることを示そうとしたのが仏法であり、この我が生命が妙法であることを悟っているのを如来とも法性ともいい、それを知らないでいるのを凡夫とも無明ともいう。
自らの生命の正しい姿を知らないでいるのが九界の凡夫であり、自らの生命を正しく悟っているのが仏である。


「吾人をもって会通を加えしむれば受持即観心の観心とは、ある対象を絶対なりと信ずればその対象の持つ力がその人の生命生活に現れるということである。」


この妙境としての御本尊は、ただただ、末法の私達の信心の二字の中に在って、余処にはないのである。
いかに、信心が大切であるかは、どれほど言っても言い尽くせるものではない。


その他、身延日蓮宗で永年滝にうたれて修行したり、不動尊、竜神、神主など邪宗教で祈祷した人は、鬱病や躁病にかかりやすく、ノイローゼになる人が圧倒的に多いことも事実である。
日蓮正宗の三大秘宝の御本尊以外の神仏に祈祷することは、悪鬼魔神の毒気に染められるために、色心ともに不幸になることを痛感するのである。