池田先生ご指導

反対に、要領よく立ち回るだけの人は、表面は良いように見えても、福運はつかない。善根は積めない。

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私どもは、法のため、人のため、広宣流布のために、日々、懸命に行学に励んでいる。
その真心の信心が、しんしんと降り積もる雪のように、わが身の善根とならないはずがない。「信心」強き人は、最後は必ず勝つ。必ず栄えていく。三世永遠に、無量の福運に包まれ、物心ともに、幸福に満ちみちていくのが仏法である。そうなるに決まっているのが、信心なのである。
ゆえに信心は、まじめに、地道に貫くことである。
仏のことを「能忍」という。広布のさまざまな労苦を、あるいは無理解な周囲の声を、「能く忍び」、耐え抜き、乗り越えてこそ、永遠の勝利者となる。
また仏の別号に「世雄」とある。民衆を救う“世の英雄”として、苦しい戦いも勇敢に戦闘し、勝つ人が仏なのである。
反対に、要領よく立ち回るだけの人は、表面は良いように見えても、福運はつかない。善根は積めない。
だれであろうと、どんなに高い地位にあろうと、学会を利用するだけの人間、学会員を裏切る恩知らずの人間は、善根を、すべて失ってしまう。
「始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」(御書1190ページ)――始めは何もないようであって、ついには滅びないものはない――と仰せのように、最後は必ず滅びていく。