目には見えなくとも、願いを叶えるために、全宇宙が動く。
牧口先生は「仏法を智解してはいけない。信解するものだ」と言われていました。たとえ難関に感じたとしても、広布の実践に励む中で、わかろう、わかりたいと肉薄することによって、自身の境涯を開いていくことができるのです。
一節でもいい、一行でもいい、日々、御書を拝することで、自身の生命を最高に輝かせていくことができるのです。
自身の宿命と戦いながら、御書を心肝に染めて広宣流布の大願へ、何ものにも負けない、仏の生命を涌現して前進する。これが、幸福と勝利の人生を開く直道なのです。
自身の生命にある仏と魔の闘争は、決して簡単なことではありません。魔に打ち勝つには、絶えず自行化他の題目を唱え、信心をより深く、強くしていく以外にない。
信心も、日々、自身の願いや目標に向かって、実践に励んで、努力していくからこそ、祈りが強くなり、信心が深まるのです。
御書を拝していく意義も同じです。戦いの中で何度も何度も拝していくことによって、自身の生命に大聖人の勇気と正義のお振る舞い、弟子を思う大慈悲、何より妙法流布への大情熱を焼き付けるのです。
大聖人の生命に肉薄し、自分自身が地涌の菩薩であり、南無妙法蓮華経の当体であるとの確信を深めて実践していけば、「生きていること自体が楽しい」と言える絶対的幸福境涯を必ず開いていくことができます。