「錦秋」という言葉がある。「紅葉が錦のように美しくなる秋」との意味だ。秋の深まりとともに木々の葉が色づき始め、各地で鮮やかな紅葉が姿を現し始めた▼葉が色づくには、昼夜の寒暖差が激しくなること、紫外線がよく当たることが必要という。桜が厳冬の中で春に咲く備えをするように、紅葉も環境の変化を越えて美しく輝く。だから人は咲く花、色づく葉、木の四季折々の姿に人生を重ねるのだろう▼小説『新・人間革命』第1巻に「錦秋」の章がある。そこでは、紅葉が広がるカナダで山本伸一が一人の壮年と出会う場面が描かれる。壮年は、キリスト教が定着した社会の中で、仏法への理解を広げることが、いかに困難であるかを語った▼その言葉には、現状が“どうであるか”という分析はあっても自ら“どうするか”という挑戦への気概はなかった。先生は、こうつづっている。「困難といえば、すべてが困難であり、不可能といえば、いっさいが不可能である。それを突き抜ける炎のような覇気と闘争によってのみ、広布の開拓はなされる」▼艱難辛苦にも、決して前進の歩みを止めない。それが学会精神だ。色づく木々を眺めつつ、自らが不屈の闘魂を赤く燃え上がらせる主体者となって、錦秋の広布の旅路を進みたい。(芯)