名字の言

〈名字の言〉 2018年10月4日  終戦直後の1945年秋のこと。リュックサックを背負った青年が千葉・幕張の駅に降りた。

スポンサーリンク

 終戦直後の1945年秋のこと。リュックサックを背負った青年が千葉・幕張の駅に降りた。一家の食料を求めて、すし詰めの列車に乗り、東京から買い出しに来た。青年とは17歳の池田先生である▼訪ねるあてもない中、池田青年は一軒の農家へ向かった。その家の婦人は別の買い出し客に、分ける食料がないと断っていた。ところが、結核のため青白かった青年の顔色を見ると、婦人は「少し、うちで休んでいきなさい」と声を掛け、サツマイモを分けてくれた▼食糧難の時代に、その温かさは、どれほど青年の心に染みただろう。この思い出を池田先生は、小説『新・人間革命』第2巻「勇舞」の章に書き残した。本紙に掲載されたのは、94年9月。出会いから約半世紀が過ぎても婦人の真心は消えることなく、先生の心を温め続けていた▼『新・人間革命』をひもといて改めて気付いたことがある。山本伸一の「出会いの多さ」だ。信仰の有無も、地位も立場も問わない、その出会いの一つ一つが小説では詳細に描かれる。それは、先生が一回一回の出会いを大切にし、いかに心を尽くしてきたかを証明していよう▼いつまでも色あせることのない出会いや友情は人の心を支える。そうした“人生の宝”を持つ人は強く、朗らかに生きられる。(芯)