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世界広布新時代第37回本部幹部会 8・24「壮年部の日」記念 全国壮年部幹部会から(要旨) 活動体験 神奈川・秦野正義圏 垣下嘉徳副圏長  2018年9月11日 「仏法に無駄はない」との確信で

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「仏法に無駄はない」との確信で

 一、私は9歳の時、両親と共に兵庫県で入会し、高校生の頃に、父の仕事の関係で神奈川県に転居しました。
貧しい家計を支えるため、高校卒業後はすぐに就職するつもりでしたが、“全員が大学に”との池田先生の指導を胸に、夜間の大学へ進学しました。
1974年2月には大学会の総会で、池田先生にご指導を頂く機会がありました。
先生は“仮に将来、学会から離れるようなことがあっても、必ずまた戻ってきなさい。それができるのが学会の組織だよ”と。
広布に命を懸けると血気盛んだった私には、なぜ先生が、このような話をされるのか正直、理解できませんでしたが、この出会いを原点に卒業後は教員採用試験の合格を勝ち取り、高校の国語教師になりました。
誉れの教育部員として42年、現場に立ち続けられたことが人生の最高の財産です。
一、男子部で学会活動に全力で取り組む中、看護師で女子部でも頑張っていた妻と結婚。子宝にも恵まれました。
しかし84年1月、誕生から4日目の次男の体に異常があると突然の連絡を受けました。生まれつき横隔膜に穴が開いており、自力で呼吸ができない、極めて危険な状態とのことでした。
病名は「横隔膜ヘルニア」。出産した産婦人科では対応できず、救急車で2度も転院を繰り返しました。生まれたばかりのわが子が、小さな拳をぎゅっと握り締めて病と闘っている姿に、胸が締め付けられました。
手術の間中、絶対にこの子を守ると懸命に唱題を続けました。明け方から始まった手術は無事、成功。ふと窓の外を見ると、雪が積もっていました。
手術した病院への搬送が数時間、遅れていたら、交通状況がどうなっていたか。守られたと心から実感しました。
退院後は、小さな体で本当の信心を教えてくれている子どものためにも戦おうと、夫婦で折伏に挑戦しました。
次男が生後4カ月を迎えた頃、妻は看護師の友人を自宅に招き、仏法対話。すると次男が突然、泣きだしました。友人が泣き声の異常さに気付いてくれ、再び救急車で緊急搬送。友人は小児科専門の看護師でした。
2度目の緊急手術も成功して一命を取り留めたばかりか、これで完治することができたのです(拍手)。
一、報恩感謝の思いで、仕事に学会活動に全力で取り組み、90年に壮年部へ移行。それから7年、支部長を務めました。しかし、副本部長になった頃から学会活動から遠ざかるようになりました。今、思えば、支部長が終わり、ホッとした瞬間に心の隙があったのだと思います。
放浪ぐせも身に付き、休みのたびに各地を徒歩で回る旅行に出掛けました。ある旅行で、大阪府・太子町をとぼとぼと下ばかり向いて歩いていたところ、変わったマンホールの蓋が目に留まりました。
そこには「和を以って貴しと為す」という聖徳太子の「十七条憲法」の条文が書かれていました。
この蓋との出あいがきっかけになり、どこに行ってもマンホールの蓋が気になるようになりました。
次に訪問した岡山県の蓋には、桃太郎が描かれていました。それならばと神奈川県に戻った後、近隣の南足柄市を訪問。予想通り、蓋には金太郎が描かれていました。
マンホールの蓋は、自治体によってデザインにさまざまな趣向が凝らされていることを知りました。以来、各地を巡ってはマンホールの蓋の写真を撮り集めました。
学会活動もせず、下ばかり向いて歩く私に業を煮やした妻は、意を決して半ば強制的に、私を本部幹部会の中継行事に連れていきました。
画面を通し、数年ぶりにお会いする池田先生の言葉が胸に刺さりました。大学会総会の折の“離れても戻ってきなさい”とのご指導は、私に頂いていたのだと涙が止まりませんでした。
妻、そして先生のおかげで、再び学会活動に挑戦できるようになりました。本部長、圏書記長、県教育部長など、頂いた使命に一つ一つ全力で取り組んできました。
一、ちょうどその頃、不思議な縁からマンホールの蓋に関する本を出版する話が持ち上がりました。
著者デビューという長年の夢がかない、感激していたところ、思いもかけず、有名タレントの深夜番組への出演依頼が舞い込みました。マンホールの蓋を研究する変わった高校教師というのが受けたのか、それからはテレビ・ラジオ等の出演依頼が相次ぎました。
今ではマンホール蓋愛好家として、三つの業界誌で連載を持つまでに(拍手)。聖教新聞でも2011年から足掛け3年、「マンホール蓋」の魅力を紹介する連載を担当しました。
さらに、下水道全般を学ぶ環境教育講座にも携わることになり、その講座は国土交通大臣賞に輝きました(拍手)。
信心根本で臨めば、うつむいて歩いていた経験も、全て前向きに生かすことができる。仏法に無駄はないと実感しました。
一、報恩感謝の思いで、地域でも実証を示そうと、秦野市の青少年相談員連絡協議会で副会長を務め、隣の伊勢原市では外国人を対象にした日本語講座ボランティアの代表を17年以上にわたって続けています。
わが家に招いた受講生との触れ合いを通し、3人の息子たちは世界に目を向けるように。長男は創価大学卒業後、大手建設会社で海外勤務を経験。昨年は、アメリカの公認会計士試験に合格しました。
大病を患った次男は、香港で大手損保に就職。三男も香港でMBA(経営学修士)を取得して外資系のコンサルティング会社に勤め、現在は同じ支部で共に地区リーダーとして奮闘しています。
私も組織では、3年前から派遣で2回目の本部長をしています。活動に積極的でない壮年の方との対話では、かつて未活動だった私の経験と、蓋愛好家の肩書の入った名刺が大いに役立っています。
訪問・激励に徹する中で人材が育ち、わが秦野中央本部は本年、ブロック2に迫る拡大を成し遂げています。
これからも信心根本で、学会と共に、先生と共に生涯、戦い抜いていく決意です(拍手)。