法悟空 内田健一郎 画 (6457)
山本伸一は、北・中米訪問の翌一九九七年(平成九年)の二月に香港を訪れ、五月には第十次の訪中をし、十月にインドを訪問した。日々、限りある時間との闘争であった。
九八年(同十年)は、二月にフィリピン、香港へ。五月には韓国へも赴き、この時、初めて、韓国SGI本部を訪れたのである。
また、翌九九年(同十一年)五月、三度目の訪韓となる済州島訪問を果たした。
二〇〇〇年(同十二年)は二月に香港へ。
そして、十一、十二月と、シンガポール、マレーシア、香港を歴訪したのである。
シンガポールでは、十一月二十三日、S・R・ナザン大統領と大統領官邸で会見した。
大統領は、温厚にして信念の人であった。
――一九七四年(昭和四十九年)、日本赤軍のメンバーら四人が、シンガポールの石油精製施設を爆破し、従業員五人を人質に取るという事件が起こった。その時、国防省治安情報局長官として、冷静に、断固たる信念をもって交渉し、陣頭指揮を執ったのがナザン大統領であった。テロリストらはクウェートへの移送を要求し、日本政府関係者と共に、シンガポール政府関係者の同乗を条件とした。
ナザン長官は、自ら飛行機に乗り込んだ。そして、最終的に、一人の犠牲者も出すことなく終わったのである。何かあれば、自分が命がけで取り組み、一切の責任を取る――その覚悟をもっていることこそが、リーダーの最も大切な資質であり、要件といえよう。
自分の身を守ることが第一か、民衆、国民を守ることが第一か――その生き方の本質は、いざという時に、また、歳月とともに明らかになる。時代は、ますます真剣と誠実のリーダーを要請している。
会見でナザン大統領は、「シンガポールは小さな国です。新しい国です」「多民族、多宗教、多言語の国です。さまざまな困難な状況のなかで、共通の目的に向かって前進してきました」とも、率直に語っていた。
伸一は、大統領の責任感に貫かれた生き方に、発展する同国の魂を見た思いがした。