法悟空 内田健一郎 画 (6000)
山本伸一の会長辞任は、あまりにも突然の発表であり、県長会参加者は戸惑いを隠せなかった。皆、“山本先生は宗門の学会攻撃を収めるために、一切の責任を背負って辞任された”と思った。だから、十条潔から“勇退”と聞かされても、納得しかねるのだ。
宗門との問題が、会長辞任の引き金になったことは紛れもない事実である。しかし、伸一には、未来への布石のためという強い思いがあった。
十条の額には汗が滲んでいた。彼は、皆の表情から、まだ釈然としていないことを感じ取ると、一段と大きな声で、「山本先生は、ご自身が勇退される理由について、次のように語っておられます」と言い、伸一の話を記したメモを読み上げた。
「第一の理由――十九年という長い会長在任期間のため、体の限界も感じている。したがって学会の恒久的な安定を考え、まだ自分が健康でいる間にバトンタッチしたい。牧口・戸田門下生も重鎮としており、青年の人材も陸続と育っている今こそ好機である。
第二の理由――一九七〇年(昭和四十五年)以来の懸案としてきた、社会と時代の要請に応える学会の制度・機構の改革も着々と具体化した。それを踏まえた会則も、このほど制定される運びとなった。次代へ向け、協議し合って進みゆく体制も整った。会の運営を安心して託せる展望ができた。
第三の理由――近年、仏法を基調とした平和と文化・教育の推進に力を注いできた。この活動は、今後、日本、世界のために、さらに推進し、道を開いていかなくてはならないと感じている。また、一緒に歴史を創り、活躍してくださった全国の功労者宅への訪問や、多くの執筆等も進めていきたい。それには、どうしても時間を必要とする。
以上が、山本先生の会長勇退の理由です」
人も、社会も、大自然も、すべては変化する。その変化を、大いなる前進、向上の跳躍台とし、希望の挑戦を開始していく力が信心であり、創価の精神である。