座談会

〈教学リーダー座談会〉 9月30日 青年部教学試験1級を実施 2018年8月18日 「民衆救済の魂」受け継ぎ広布へ

「民衆救済の魂」受け継ぎ広布へ
SGI青年研修会で来日したメンバーが教学を研さん。現在、世界中で教学試験が実施され、「行学の二道」に励んでいる(本年3月、東京・新宿区の創価文化センター内の金舞会館で)

 9月30日(日)に行われる「青年部教学試験1級」に向けて、各地で男女青年部が教学研さんに励んでいます。ここでは、竹岡青年部長、高野男子部教学部長、熊本女子部教学部長が、受験の心構えや研さんのポイントについて語り合いました。

「剣豪の修行」のごとき鍛錬

 竹岡 青年部は今、広宣流布大誓堂完成5周年の「11・18」に向けて、弘教拡大と人材育成に挑んでいます。その原動力となるのが教学です。「青年部教学試験1級」を、さらなる推進力としてまいりたい。

高野 今回の1級試験は、各地のリーダーが受験します。第2代会長の戸田先生は御書全集の「発刊の辞」に「剣豪の修行を思わせるが如きその厳格なる鍛錬は、学会の伝統・名誉ある特徴」と、つづられました。私たちは、世界広布にまい進する中で御書を学び、「実践の教学」に取り組んでいきたいと思います。

熊本 今回の試験範囲は「観心本尊抄」「兄弟抄」の御書2編と「日顕宗を破す」です。御書2編については、「御書本文」が出題範囲となります。教材となっている書籍『世界広布の翼を広げて 教学研鑽のために――観心本尊抄』や「大白蓮華」6月号に掲載されている通解や語訳、解説は、御文の理解を深めるための手掛かりです。

竹岡 池田先生は、教学試験の受験者に対して呼び掛けられています。
「研鑽にあたっては、ぜひ、『直接、御書を繙く』ことを心掛けてほしい。講義録や解説などは、あくまで補助にすぎない。御書の本文も読まずに、『わかったつもり』になることが一番怖い。少々苦労しても、王道をいくことだ」と。自身の御書で、重要な御文には線を引いたり、書き込みをしたりするなど、研さんの足跡を残していきたいですね。

「観心本尊抄」の題号の意義

 熊本 今回学ぶ「観心本尊抄」は、文永10年(1273年)4月、日蓮大聖人が流罪地の佐渡で認められました。「観心本尊抄」は略称で、正式な題号は「如来滅後五五百歳始観心本尊抄」です。これは「如来滅後五五百歳に始む観心の本尊抄」と読み下します。「観心の本尊」と「の」の字を入れて読む意味も理解していきたいですね。

竹岡 「観心本尊抄」は、末法の衆生が成仏のために受持すべき南無妙法蓮華経の本尊について説き明かしています。法門ですので、難しいと感じるかもしれませんが、しっかり学べば必ず理解することができます。学ぶほどに信心の確信が深まります。

高野 「観心本尊抄」の構成は大きく四つに分けられます。
大段第一では、冒頭、『摩訶止観』の第5巻の文「夫れ一心に十法界を具す一法界に又十法界を具すれば百法界なり……」(御書238ページ)を挙げられ、「一念三千」の典拠を示されます。そして、一念三千は有情のみならず非情にもわたると明かされ、一念三千こそ天台大師の究極・最高の教えであると仰せになります(第1~4章)。

熊本 大段第二⑴では「観心の本尊」のうち「観心」について明かされます。まず、「観心」とは、凡夫の己心に十界が具わることを観ずることであると示し(第5章)、法華経の経文を引用しながら、私たちの生命に十界、なかんずく仏界が具わっていることを論証されていきます(第6~10章)。

高野 「瞋るは地獄・貪るは餓鬼・癡は畜生・諂曲なるは修羅・喜ぶは天・平かなるは人なり」(同241ページ)との御文や、「世間の無常は眼前に有り豈人界に二乗界無からんや」「無顧の悪人も猶妻子を慈愛す菩薩界の一分なり」(同ページ)等は大事な御文ですね。
ここで重要なのは、私たちのような末法の凡夫に十界、特に仏界が具わることを、大聖人が実に丁寧に論じられている点です。裏返せば、それだけ凡夫成仏が大事なテーマだといえます。

熊本 そして、末法における観心は、本門の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱えるという、本尊の受持によって成就する「受持即観心」が明かされます(第11~16章)。

竹岡 前半の結論である「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」(同246ページ)は、大変に重要な御文ですね。しっかり心に刻んでまいりたい。

南無妙法蓮華経の御本尊

 熊本 後半の大段第二⑵では、法華経本門寿量品の肝心である南無妙法蓮華経こそ、末法の私たちが受持すべき「本門の本尊」であることと、その様相が明かされます(第17~19章)。この結論を示された上で大聖人は、あらためて末法に出現する本尊を尋ねる問いを立てられ(第20章)、「五重三段」を論じていかれるのです(第21~25章)。

高野 釈尊の教えの根本が「内証の寿量品」たる「南無妙法蓮華経」であることを示すために、大聖人が用いられたのが五重三段です。それぞれの「名称」と、三段のうち特に「正宗分」が何に当たるかを押さえながら拝していきたいと思います。

熊本 続いて、法華経本門が末法の衆生のために説かれたことの文証を挙げ(第26~28章)、末法の妙法弘通を託されたのは上行菩薩をはじめとする地涌の菩薩であることを確認し、その地涌の菩薩が末法の初めに出現することを明らかにされます(第29章)。さらに、釈尊の未来記などを挙げ、大聖人御自身こそ、まさにその地涌の菩薩の振る舞いをされていることを示されます(第30章)。

竹岡 「此の四菩薩折伏を現ずる時は賢王と成って愚王を誡責し」(同254ページ)との仰せは、社会変革の力をもった在家が折伏をもって広宣流布していくという、まさに創価学会の出現を予言された御金言といえるでしょう。

高野 最後の大段第三で大聖人は、「一念三千を識らざる者には仏・大慈悲を起し五字の内に此の珠を裹み末代幼稚の頸に懸けさしめ給う」(同ページ)と仰せになり、末法の衆生は南無妙法蓮華経の御本尊を受持することによって、必ず守られて成仏できるとの御本尊の大功力を示されます(第31章)。

熊本 「観心本尊抄」をより深く理解するための資料としては、『御書の世界』第2巻に「御本尊」㊤㊥㊦が収録されています。また、「創価新報」8月1日号・15日号に、学習の参考となる記事が掲載されていますので、ご活用ください。

難の本質を学ぶ「兄弟抄」

 高野 「兄弟抄」は、日蓮大聖人が、池上宗仲・宗長兄弟と、その夫人たちに送られたお手紙です。池上家は、有力な工匠として鎌倉幕府に仕えていました。しかし、兄弟の父・康光が、兄弟の法華経の信仰に反対し、兄を勘当したのです。

竹岡 当時の勘当とは、家督相続権を失うことで、経済的な基盤も社会的な身分も奪われるという、大変厳しい圧迫でした。そうした試練に負けないように、大聖人は兄弟に励ましを送られています。

熊本 今回の教材では、「兄弟抄」の中から特に重要な御文が抜き出されています。はじめに法華経こそが最勝の経典であることを示され、法華経を捨てる罪の重さについて述べられます。また法華経を説く人には巡り合い難いことを、「一眼の亀」や「須弥山を吊り上げる蓮の糸」の譬えを通して教えられていきます。

高野 大聖人は、法華経を信ずる人が恐れるべきものは、信仰を妨げる存在であり、難に遭うのは第六天の魔王がとりついた悪知識が、信心を妨害するからであると示されています。さらに難に遭う理由として「転重軽受」の法門を説かれ、難は諸天善神が兄弟の信心を試すために与えた試練であると教えられます。

竹岡 特に確認したいのは、「信心に励む者に、なぜ難が競い起こるのか」ということですね。「此は第六天の魔王が智者の身に入って善人をたぼらかすなり……何に況んや其の已下の人人にをいてをや」(同1082ページ)や、「各各・随分に法華経を信ぜられつる・ゆへに……法華経の十羅刹も守護せさせ給うべきにて候らめ」(同1083ページ)などは、しっかり心に刻みたいと思います。

熊本 「三障四魔」出来の原理を明かした「行解既に勤めぬれば三障四魔紛然として競い起る……之を畏れば正法を修することを妨ぐ」(同1087ページ)も重要な一節です。私たちは魔を魔と見破り、「設ひ・いかなる・わづらはしき事ありとも夢になして只法華経の事のみさはくらせ給うべし」(同1088ページ)との仰せのままに、勇気の信心を実践していきたいと思います。

高野 最後に「日顕宗を破す」では、宗門事件の経過を確認することはもとより、日顕宗の悪を見破る透徹した眼を磨いていきたいと思います。日顕宗の実態を学ぶほどに、世界宗教として飛躍する創価学会の正しさが、より明確になります。日顕宗の邪義を、御書の御文を通して破折する力をつけていきたいですね。

竹岡 池田先生は語られています。「御書には、末法の御本仏である大聖人の師子吼が、烈々と轟いている」「この戦う生命を、わが生命に受け継ぐための教学だ。受験者の皆様は、特に青年部の諸君は、『もうこれ以上勉強できない』というくらい学んでほしい。その『限界を破る』挑戦が、一生涯の宝となって光っていく」と。
私たちは、大聖人の民衆救済の精神を受け継ぎ、どこまでも「行学の二道」に徹しながら、広宣流布にまい進していきましょう!

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