池田先生ご指導

御本尊に向き合って勤行・唱題することは、わが生命の夜明けであり、太陽が昇ることであり、このうえない生命の充実である。この一点だけでも、私どもは幸福である。

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それを前提に申し上げれば、幸福の第一条件は、「充実」であろう。
「本当に張りがある」「やりがいがある」「充実がある」---毎日が、そのように感じられる人は、幸福である。多忙であっても充実感がある人のほうが、暇でむなしさを感じている人より、幸福である。
私どもの場合、朝起きて勤行をする。いやいやの人もいるだろうが(笑い)、勤行をすること自体が偉大である。勤行は、いわば大宇宙を見わたし、見おろしていく荘厳な儀式である。宇宙との対話である。
御本尊に向き合って勤行・唱題することは、わが生命の夜明けであり、太陽が昇ることであり、このうえない生命の充実である。この一点だけでも、私どもは幸福である。
幸せそうに見えても、朝から憂うつな気分で一日をスタートする人もいる。朝、奥さんに叱られ(笑い)、「何で、こんな結婚をしちゃたんだろう」と(笑い)、ふさぎこんで一日を出発する---これでは不幸である。充実はない。
朝だけをとっても、私どもは最高に充実した、価値ある人生となっている。
そのうえ、だれよりも立派に仕事し、生活を勝利しきって、あまった時間を「法のため」「広宣流布のため」「人のため」「社会のため」に使っている。
”根性曲り” の人間が多い末法にあって(笑い)苦労しながら、ただ相手の幸福のために、祈り、足を運び、語り、心をくだき、面倒をみておられる。
まさに菩薩であり、これほど偉大な「哲学ある人生」はない。最高の哲学を実践し、弘めておられるのが皆さまである。
それだけの価値ある哲学をもったということ---それ自体が幸福である。
幸福の第二条件は、「深き哲学をもつ」ことである。
第三に、「信念をもつ」ことである。何が悪いか、何が善か、わからない時代になってきた。
これは世界的傾向である。このままでは、人類は混乱と退廃に向かう以外にない。そのなかにあって、皆さまは「最高善」の仏法を奉じ、その教えを実践しぬいておられる。