池田先生ご指導

強くなれば、悲しみさえも栄養になる。 苦悩が自分を清めてくれる。 自分が押しつぶされるようになる。 苦しみの底で、 初めて人生と生命の真髄が心に しみ通ってくるのです。

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強くなるんです。
強くなれば、悲しみさえも栄養になる。
苦悩が自分を清めてくれる。
自分が押しつぶされるようになる。
苦しみの底で、
初めて人生と生命の真髄が心に
しみ通ってくるのです。
だから、
苦しんだらこそ、生きなけれなばならない。
前へ前へ進むんです。


金はドブに落ちても、金だよ!
何があっても、題目を唱えぬいた福運は壊されない
「金はドブに落ちても、金だよ。誰が誹謗しようが、ヤキモチを焼こうが、金は変わりません。
同じように、妙法蓮華経の当体、事の一念三千の当体として、いつも御本尊が胸中にあり、いつも題目をあげる人は、どういう境遇でも、どんな時代でも、何があっても、その福運は壊されることがないのです。
福運ある自分をつくるまで、そして、人間革命し切るまでは、題目を唱え抜いて、学会につき切って、大聖人の仰せ通りの信心をしていく以外にありません。
忍耐強く励んでいきなさい。最後には、その人が勝つに決まっている。これは、大聖人が仰せであり多くの実例が証拠です。
近所の人とも朗らかにつき合っていきなさい。心の中に、信心という偉大なるエンジンを持ちながら、聡明に、常識豊かに、礼儀正しく・・・」


法華経の行者の唱題行 万人が「衆生所遊楽」の人生を送れる
「衆生所遊楽」のための信心です。
『一切衆生・南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり』(御書1143頁)と明確に仰せの通りです。
どんな厳しい苦難にあっても、唱題により胸中の仏界を力強く涌現していけば、断じて負けない。師子吼の題目の力で全てを勝ち越え、人生を「遊楽」するように生きていくことができる。宿命に泣く悲哀の人生も、人々を励まし救いゆく使命の人生へと転ずることができる――。この揺るぎない体験と確信をもって、多くの学会員が朗らかに前進してきました。
自他共に幸福を願い、「法華経の行者」として戦っている学会員ほど、尊い存在はありません。
戸田先生が語られていました。
「何があっても題目で勝てる。苦労を力に変え、仏の生命を涌現して、いかなる運命も切り開ける。ありのままの姿で、あらゆる人を救っていけるんだよ」
自分だけでなく、あらゆる人をも「衆生所遊楽」の人生を送れるようにしていけるのが、「法華経の行者」の唱題行なのです。