諸天善神を揺り動かしていくのは、どこまでも私たちのひたぶるな唱題です。私たちの生命の変革があってこそ、諸天善神が動くのです。わが生命を変革せずして、仏や諸天の加護を頼みにするいき方は、正しき仏法の祈りとはいえません。
「よびよばれて」と仰せです。呼ぶ側も自身、呼ばれる側も自身です。外から与えられるのではない。自分の中から呼び覚ますのです。その響きに応じて全宇宙の諸天善神が動くのです。あらゆる仏も菩薩も歓喜するのです。「歓喜とは法界同時の歓喜なり」です。
地球上には数限りなく生命体が生きている。その中で仏になる素質を持てる生物は人間だけである。その人間の世界でも御本尊と出会える確率は極めて低く、出会えたとしても信じない人間の方が多い。 毎日勤行唱題できる人生が、どれほど幸運な境遇であろうか。
唱題で声を出す「南無妙法蓮華経」の音律は、我が仏の生命を涌き出でよ!との力強い叫びなのです。ありとあらゆる生老病死の苦悩を圧倒する最強無敵の師子吼なのです。 真剣に祈り切ることが、遠いようで最も確実な早道なのだ。
心配しなくてもいいよ。仏に仕えた功徳は大きい。必要な時はどっと功徳が出てくるんだ。ちょうど水道の蛇口のようなものだ。普段は余計なお金は使えないように蛇口が閉まっている。必要な時にその蛇口を開ければいいんだ。そういう功徳溢れる生命に必ずなっていくんだよ。
策で解決した場合は、また同じ問題で悩むようになる。 信心で解決した時こそ、宿命転換である。