池田先生ご指導

とくに自覚して祈っていなかったことが、あとから振り返ると実現していることもある。

勤行している人は、不幸の方向に行かないように、生命の軌道を整えていける。もちろん、祈った結果が出るには、「すぐに出る場合」と、草木がだんだん育つように「時とともに実現していく場合」とがある。また、とくに自覚して祈っていなかったことが、あとから振り返ると実現していることもある。
ケースはさまざまだが、必ず「よい方向へ」「よい方向へ」と向かっていく。自分にとって「いちばんいい道」が開ける。これは絶対に間違いない。


「御本尊に祈れば、どんな祈りでも叶う」と言われますが、本当でしょうか。
もちろんです。「祈りとして叶わざるなし」の御本尊です。「必ず叶う」と決まっているのです。
日蓮大聖人は仰せです。「たとえ大地をさして外れることがあっても、大空をつないで結びつける人があっても、また、潮の満ち引きがなくなったとしても、太陽が西から昇ることがあったとしても、『法華経の行者』の祈りが叶わないことは、絶対にない」と。
太陽は必ず東から昇る。それ以上の確かさで、祈りは叶う。それが宇宙の法則だからです。だから、大切なのは、こちらが「法華経の行者」であるかどうか、本当に実践しているかどうかにかかっている。
戸田先生は言われていた。「釣鐘を、楊枝でたたくのと、箸でたたくのと、撞木でつくのとでは、音が違うだろう。同じ釣鐘だが、強く打てば強く響き、弱く打てば弱く響く。御本尊も同じだ。こちらの信力・行力の強弱によって、功徳に違いがあるのだよ」

こちらの「信力」「行力」で決まる
「信力」「行力」とあるように、信じる心は一種の「力」です。「絶対に、叶わないわけがない」と「確信」を奮い起こしていけばいくほど、その「信力」の強さに御本尊が応えてくださるのです。
また、「行力」とは「題目を唱える力」と、人のため、社会のために「広宣流布へ行動していく力」の両方をいう。それが強ければ強いほど、いくらでも御本尊の「仏力(仏の力)」「法力」は発揮されていくのです。
何か、すごく合理的というか、法則にのっとったものなんですね。
「祈りが叶う」といっても、オカルト的なものではない。また人間とかけ離れた神仏が、″お情け″で願いを聞き届けてやるといった、神秘的な、いいかげんな話ではない。
人間は、大自然から「電気の力」を「英知」を使って引き出し、利用できるようにした。あたかも、そのように、生命と宇宙の法則を研究したのが仏法です。その仏法の最高理論をもとに、日蓮大聖人が御本尊をつくってくださったのです。電気の理論で電灯ができたようなものです。
だから戸田先生は、「もったいないことだが、御本尊は『幸福製造器』と言える。人類を幸福にするための機械であられる」と言われていた。
人間の智慧、仏の智慧の最高の結晶が御本尊なのです。だから、こちらが一の信力、一の行力だと、一の仏力、一の法力となって現れる。百の信力・行力は百の仏力・法力となって現れる。万の信力・行力は万の仏力・法力となって現れるのです。

  1. 前田 照江 より:

    まさに 先生の
    ご指導の通りですね 特に自覚して祈っていなかったことが実現したこと勿体なくも 多々あります

    ほんとうに 感謝につきません

    この信心を 池田先生を 知らない方々に
    ほんとうに知って頂きたい

    この思いで 同志の皆さんと 一緒に 公布の使命を 果たさせて頂きたいですね