聖教ニュース

〈地域を歩く〉 島根県 雲南市、飯南町 2018年8月3日 再会と交流の夏休み

再会と交流の夏休み
飯南町に“Uターン”した女子部の岡田敬依子さん㊥。“華陽姉妹”と仲良く

 間もなく迎えるお盆の時期を中心に、列島は、故郷に帰省する人たちでにぎわう。
家族や親戚と再会し、友人と旧交を温める夏休み――。顔を合わせて語らえば、心は通い、笑顔と元気が生まれる。
そんな出会いが変わらずある場所を、“心の故郷”と呼ぶのだろう。
島根県の雲南市、飯南町には「日本の滝百選」に選定されている龍頭が滝(雲南市)、天然炭酸温泉の“ラムネ銀泉”(飯南町)など、豊かな自然と観光名所がある。
この1市1町を広布の舞台とする雲南本部にも、夏に帰省する人、また故郷に“Uターン”した人がいる。同本部の同志は、そんな一人一人を温かく迎え、励ましの言葉を掛けてきた。
矢島健二本部長、奥原多恵子婦人部本部長は語る。「帰ってきている人がいると分かれば、お会いして近況を聞くようにしています。故郷を離れて奮闘する皆さんに、いつでも戻ってこられる場所があると伝えたい」
奥原本部長の次男・奥原正博さん(男子部員)も、関西創価高校と創価大学で寮生活を送った後、生まれ育った雲南市にUターンした。
学生時代、実家に帰省するたびに未来部の会合や座談会に参加。よく知る壮年・婦人部、男子部の先輩に囲まれると、他の場所にはない“居心地の良さ”を、いつも感じることができた。
就職活動では、志望を県内に絞った。第1志望の銀行から内定を得て、今、社会人1年生として奮闘する。
「田舎ならではの密接な人間関係が、この地域の魅力です。中小企業との関わりを通じて、地域の発展に尽くします」

故郷とは自分らしく心の根を張れる場所
 Uターンした奥原さんのもとへ、いち早く激励に訪れた人がいた。高橋純一さん(圏男子部長)である。

 雲南市で生まれ育ち、太陽光発電システムを販売する会社に入社後も、市内の工場に勤務。そんな“地元っ子”の高橋さんは、もともとは学会活動に消極的だった。信心に向き合うようになったきっかけは、同じ地域の男子部の励ましだった。
趣味の話題で盛り上がり、人間関係を深める中で、いつしか高橋さんは仕事の悩みを打ち明けるように。勤行・唱題を実践し、会合参加を重ねる中で、悩みの原因だった勤務環境が変わった。
同市では、65歳以上の人が総人口に占める割合を指す「高齢化率」は37・9%(6月末時点)。
壮年・婦人部の先輩たちは、“少子高齢化が進む地域にあって、青年は地域の太陽”との思いで自分に接してくれていた。その中で、高橋さんは“自分も人を励ませる人になりたい”と祈り、内田富士男さん(支部長)らと男子部の激励を重ねるようになった。
その一人が、高橋達也さんだった。
達也さんは関東、中部、東北と勤務先を転々とし、4年前に故郷の雲南市へ。生まれ育った地に戻ってみて、あらためて「家族や昔からの知人、友人に囲まれて暮らせることは、安心の源だと実感しました」。
学会活動に励み、人生初の弘教も実らせた。現在勤める薬品会社にも転職を果たし、信心の功徳を感じた。
本年6月、達也さんは男子部部長に就任した。「先輩のように、広布の使命を担い立つ“一人”を励ましていける自分になりたい」と決意する。

飯南町の岡田敬依子さん(華陽リーダー)は、祖母の代からの“学会3世”。幼い頃から、実家が広布の会場だった。
雲南市と同じく、少子高齢化が進む同町。高齢化率は40%を超える。
岡田さんには、小学校に数人、中学校に約30人の同級生がいた。そのほとんどが、進学や就職を機に町を離れた。
岡田さん自身、松江市内の高等専門学校に進学し、卒業後は同市内の会社に就職した。
だが社会人1年目に、周囲の期待の大きさと、それに応えられていない自分自身への焦りから、心身のバランスを崩してしまう。しばらく働いた後、仕事を辞め、飯南町に戻ることを決めた。
“私はダメな人間だ”。挫折感でいっぱいだった岡田さん。だが学会家族は違った。
「あら、お帰り!」
「聞いてたぞ、戻ってきてくれてうれしい!」
そう大げさに喜んでくれる人もいれば、行く先々で、けいこちゃん、けいこちゃんと声を掛けてくれる人がいた。故郷を離れた数年前と、何も変わることなく――。
「それまでは、自分は“いなくてもいい人間”だと卑下していました。でも飯南の人たちは、私がここにいること自体を喜んでくれたんです。過去がどうかではなく、私の今をありのまま受け入れ、昔と変わらず接してくれました。それが一番の励みでした」
昨年から、岡田さんは町内で勤務する。大好きな地域の発展に尽くせることに、大きな喜びを感じている。

飯南町には、他の地域から移り住んできた“Iターン”の人も多い。
「縁があって来た人たちですから、この町を好きになってもらえれば」
そう語る松平利和さん(ブロック長)は、広島で数年間働き、生まれ育った飯南町に戻った。一度離れたからこそ、故郷の良さを感じられるようになったという。
だからこそ、松平さんは町内の「中山間地域研究センター」に勤務するIターンのメンバーらに日々、励ましを送る。
地区では毎月、座談会の案内状に未来部員が絵を描き、地区や地域の人たちに配る。この取り組みの中で参加者は増え、近所の子どもが“自分もやりたい!”と、絵を描くこともある。
「旧習が根強い地域でしたが、学会への見方は柔らかくなりましたよ」。飯南広布の草創を開いた松平さんの両親の房悟さん(副本部長)、ヒロエさん(支部婦人部長)は目を細める。2011年、町内で開催した「自然との対話――池田大作写真展」には、町内外の延べ1800人が来場した。

本年4月、雲南市が全国の注目を集める出来事があった。国の特別天然記念物であるコウノトリのひなが、昨年に続いて4羽、同市内で誕生したのである。
コウノトリが地域にすみ着けるよう、地元の小学生たちが田んぼで稲作を行い、えさとなるカエルやドジョウを増やす取り組みも始まった。この田んぼを提供したのが、澤和秋徳さん(副支部長、地区部長兼任)である。
雲南市生まれの澤和さんは、16歳で大阪へ。そこで先輩に勧められ、仏法に出あった。大阪で男子部時代を過ごし、8年前に故郷に戻った。
Uターン直後、すぐに会いに来てくれたのが、数年前まで地区部長を務めた壮年だった。
「初めまして」と語る澤和さんの手を、壮年は「これから、地区をよろしく頼むよ」と、固く握った。1年後、壮年は病で亡くなる。これが最初で最後の会話となった。
地域広布の草分けだったその壮年は、後継の人材の成長を願い続けた。近所の出身で、大阪で入会した青年がいる――そう聞いてからは、会ったことのない澤和さんとの出会いを、心待ちにしていたという。
「たくさんの祈りに包まれて、私はここに戻ってきたのだと思います」
若き地区部長として、澤和さんは壮年部の先輩から信心を学び、男子部には“良きお兄さん”となって励ましに徹した。
長年、大工として働いていた澤和さんだが、近隣の多くが田んぼを手放すのを見て、農業にも力を入れようと決めた。今、自らの耕地は、かつての倍に。市と協力して若い農家の育成に携わり、地域貢献にも率先する。
「農業を通じて故郷に尽くすのが、私の夢になりました。心一つで、今いる場所が使命の舞台になると実感します」

池田先生は「学会は、どこよりも温かな人間性に満ちた『生命の安全地帯』」と語っている。
生まれ育った土地に戻る人がいれば、新たな地域に根を張る人もいる。全ての人たちが、“ここに来て良かった”と思える居場所。それが「安全地帯」の内実であろう。
そんな心のつながりがこの夏も、全国の津々浦々で育まれている。

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