法悟空 内田健一郎 画 (6434)
山本伸一の平和旅は続いた。
一九九三年(平成五年)二月二十日、伸一の広布開拓の舞台は、アルゼンチンからパラグアイへと移った。このパラグアイも初めての訪問である。そこは、大河パラグアイ川をはじめ、幾多の河川が大地と人間を潤す、美しき「森と水の都」であった。
空港では、首都アスンシオン市の市長から、歓迎の「市の紋章」の盾が贈られた。
翌二十一日、伸一は、パラグアイ文化会館に七百人の同志が集って行われた、同国の第一回SGI総会、パラグアイ広布三十二周年を記念する「友好の夕べ」に出席。ここでも真っ先に子どもたちを励ました。
「みんなに会えて嬉しいよ。大きくなったら日本へもいらっしゃい。待っています」
総会で彼は、草創期を築いた同志の名をあげて、その功労を讃えた。さらに、アマンバイ地区、そして、サンタローサ、エンカルナシオン、イグアス、アスンシオンの各支部名を読み上げ、奮闘をねぎらっていった。
移住した日系人から始まった広布であり、計り知れない苦労があったにちがいない。
パラグアイの同志は、決して多いとはいえないが、メンバーは、日本からの移住者をはじめ、皆が勤勉に努力を重ね、社会に深く信頼の根を張り巡らせてきた。
九〇年(同二年)にアスンシオン市で「世界の少年少女絵画展」(SGI、パラグアイ文部省共催)を開催した折には、アンドレス・ロドリゲス大統領も出席している。
また、今回の伸一の訪問を歓迎し、郵政局では、彼の滞在期間中、すべての郵便物に「SGI」の消印を押すことを決定した。その決議文には、「SGIは、世界平和の実現、民衆の相互理解の深化、文化の尊重を根本的な目的として活動し、国連のNGOでもあり、価値を創造するための団体である」とあり、「SGI会長の訪問は、国家諸機関及び関係団体が敬意と共鳴を表すべきものである」としていた。
同志の地道な社会貢献の結実といえよう。