信仰への誤解の一つに、祈ることへの誤解がある。「拝んで解決するわけがない」という認識だ。「拝む」ことは全面的に他者に頼り、お願いして何とかしてもらうことだとの曲解がある。
仏法が説く「祈る」という行為は、そうした棚ぼた式とは違う。だれかに依存するのでも、何もせず、ただ変化を待つのでもない。
御書に「南無妙法蓮華経は獅子吼の如し」と仰せのように、自身のなかにある弱気や憶病をねじ伏せ、勇敢なる心を奮い起こし、行動するための祈りだ。そこには頼るなどという甘さや弱さは微塵もない。再びの挑戦、努力。その原動力が祈りによって生まれる。