聖教新聞ななめ読み

創価学会の幹部は、決して、名誉主義であってはならない。組織で、五年、十年と幹部をやってきたから、自分は、いつも、そういう立場にいて当然であると考えているとしたら、それは大きな間違いです。

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戸田先生は、じつに厳しかった。
「要領のいい幹部もいる。傲慢な幹部もいる。学会を利用して、自分がいい立場になることばかり考える幹部もいる。腹の中で学会員を小馬鹿にしたり、大した人間でもないのに自分を偉そうに見せたり、学歴があるからといって尊大ぶる愚劣な幹部もいる」
こう言われ、「そういう人間は、しかり飛ばせ!」と叫ばれていた。
広布のため、まじめに、健気に戦う学会員こそ尊い。その方々を、どこまでも大切にしたいとの、深きお心であられたのである。だから厳しかった。このお心を、そのまま受け継いで、私は走りぬいてきた。仏子である学会員を守るため、悪と徹して戦ってきた。
「私は、できることならば、全同志とお会いしたい。皆さんの会長ですもの、皆さんに仕えるのが当然であると思っています。それが幹部なんです。会員の皆さんがいるから幹部がいる。幹部のために会員がいるんじゃありません。もしも、それを幹部が勘違いしたら、学会は滅んでいきます」
創価学会の幹部は、決して、名誉主義であってはならない。組織で、五年、十年と幹部をやってきたから、自分は、いつも、そういう立場にいて当然であると考えているとしたら、それは大きな間違いです。その感覚を持ってしまえば、他の団体や会社などと同じことになる。学会は過去にとらわれた功績主義や名誉主義に、絶対になってはならない。
指導者の一分の隙、わずかな傲慢が、知らず知らずのうちに、尊い和合を壊していってしまう。未来のために、あえて申し上げておきたい。
創立の父・牧口先生以来、学会は「皆が納得できる」対話で、団結を築いてきた。押しつけや無理強いでは、人は動かない。「そうだ!その通りだ!」という心の共鳴から、自発の行動が生まれる。
戸田先生は、権威主義が大嫌いであった。官僚主義が大嫌いであられた。
学会の組織は、政治性の組織でも、利害のための組織でもない。事務的な機構のみの世界でもない。生命と生命、人格と人格の関係の世界である。信頼と同志愛、たがいの尊敬と啓発の世界である。学会は人間主義の団体なのである。
一般に、官僚主義の欠点とされるのは、次のようなことである。
「上にへつらい、下にいばる」
「地位や肩書で人を見る」
「自分中心で保身を第一とし、責任感がない」
「独善的で、差別的で、秘密主義である」
「石頭で、杓子定規。視野が狭い」
「前例に強くこだわり、新しいものや、創造的なものを嫌う」
「思いやりや人間味に欠ける」
こんな幹部は、四国には少ないと思うが(笑い)、要するに「民衆第一」の姿勢の正反対であり、「価値創造(創価)」の反対である。自分も硬直し、人をも抑えつける。みずみずしい感動がない。和合がない。
学会のリーダーは、絶対に官僚主義になってはならない。命令主義、組織主義であってはならない。リーダーが、細かいところまで気を配り、心を配り、かゆいところに手が届くくらいの真剣さで、一人一人のことを大切にしていくとき、初めてあたたかい、血の通った組織ができてくる。
それは自分自身の惰性との、たゆみなき戦いである。「官僚主義に挑戦せよ」「惰性や権威主義を打ち壊せ」と申し上げておきたい。