聖教新聞ななめ読み

「ひょっとしたら、一生、折伏できないのでは」と本当に悩みながら題目をあげました。そんなある日、祈りながら、はたと気付きました。「自分は、友人の幸福を全然祈っていないな」と。

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折伏は難事中の難事。なかなか思うに任せないことばかりかもしれませんが、その労苦の中にこそ仏道修行があり、人間革命があります。私自身、人生初の折伏は本当に苦労しました。大学時代、初めて入会を決意した友人から、当日になって「やはり入会は、やめた」との思いも寄らぬ一言。誰もが経験している“ドタキャン”です(笑い)。それからが大変でした。話せど話せど、誰も話を聞いてくれさえしません。「ひょっとしたら、一生、折伏できないのでは」と本当に悩みながら題目をあげました。そんなある日、祈りながら、はたと気付きました。「自分は、友人の幸福を全然祈っていないな」と。そして「これでは自分のための折伏だ。友人に失礼だ」と思いました。
その日からです。私は「自分が折伏をする人が必ず幸福になっていくように」と題目を重ねるようにしました。
そのような中で、一人の友人に、半ばやけ気味で「どうせ君に話しても、君は聞かないだろうし、やらないとは思うけれども……」と信心の話を切り出しました(笑い)。
すると意外にも「じゃあ、やってみるよ」と、その友人が言うのです(笑い、拍手)。無事に入会できた彼は、初めて入会を決意した友から21人目の対話でした。
この21人とは、その後も友好を結んできました。中には「あの時、もう少し強く言ってくれれば自分も入会したのに」と語る友人もいます(笑い)。その彼も学会の本物の味方となり、今も陰に陽に応援してくれています。