法悟空 内田健一郎 画 (6401)
宗門から「解散勧告書」なる文書が送付されてきてから三週間後の十一月二十九日、またしても学会本部に文書が届いた。「創価学会破門通告書」と書かれていた。
宗門は、解散するよう勧告書を送ったが、学会が、それに従わないから、“破門”するというのだ。さらに、「創価学会の指導を受け入れ、同調している全てのSGI(創価学会インタナショナル)組織、並びにこれに準ずる組織」に対しても、“破門”を通告するとあった。
初代会長・牧口常三郎の時代に入会し、戦後は第二代会長・戸田城聖のもとで学会の再建期から戦い、宗門の実態を見続けてきた草創の幹部たちは、日顕らの卑劣な策略を糾弾した。最高指導会議議長の泉田弘や参議会議長の関久男、同副議長の清原かつ等である。
泉田は、あきれ返りながら語った。
「いったい誰を“破門”にしたのかね。普通、“破門”は、人に対して行うものだが、学会とSGIという組織を“破門”にしたという。そして、個々の会員には、宗門の信徒の資格は残るので、学会を脱会するよう呼びかけている。結局、学会員を奪って、寺につけようという魂胆が丸見えじゃないか。
宗門の権威主義、保身、臆病、ずるさは、昔から全く変わっていないな。信心がないんだ。だから、戦時中は、神札を受けるし、御書も削除している。また、何かあると、御本尊を下付しないなどと、信仰の対象である御本尊を、信徒支配の道具に使う。
それと、注意しなければならないのが、創価の師弟を引き裂こうとしてきたことだよ。
宗旨建立七百年(一九五二年)の慶祝記念登山の折、戦時中、神本仏迹論の邪義を唱えた悪僧・笠原慈行を、学会の青年たちが牧口先生の墓前で謝罪させた。その時も宗門の宗会は、戸田先生に対して、大講頭罷免、登山停止等を決議した。戸田先生一人を処分して、同志との離間、創価の師弟の分断を謀り、学会員を宗門に隷属させようという魂胆だったんだよ」