小説「新・人間革命」

〈小説「新・人間革命」〉 誓願 百二十一 2018年8月18日

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 法悟空 内田健一郎 画 (6451)

 人道的活動のために、宗派や教団の枠を超えて、協力していくことは、人類の幸福を願う宗教者の社会的使命のうえからも、人間としても、必要不可欠な行動といってよい。
そして、共に力を合わせて、課題に取り組んでいくには、互いの人格に敬意を払い、その人の信条や文化的背景を尊重していくことである。
本来、各宗教の創始者たちの願いは、人びとの平和と幸福を実現し、苦悩を解決せんとするところにあったといえよう。その心に敬意を表していくのである。
よく日蓮大聖人に対して、「四箇の格言」などをもって、排他的、独善的であるとする見方がある。しかし、大聖人は、他宗の拠り所とする経典そのものを、否定していたわけではない。御書を拝しても、諸経を引いて、人間の在り方などを説かれている。
法華経は、「万人成仏」の教えであり、生命の実相を説き明かした、円満具足の「諸経の王」たる経典である。それに対して、他の経典は、一切衆生の成仏の法ではない。生命の全体像を説くにはいたらず、部分観にとどまっている。その諸経を絶対化して法華経を否定し、排斥する本末転倒を明らかにするために、大聖人は、明快な言葉で誤りをえぐり出していったのだ。
そして、釈尊の本意にかなった教えは何かを明らかにするために、諸宗に、対話、問答を求めたのである。それは、ひとえに民衆救済のためであった。それに対して、幕府と癒着していた諸宗の僧らは、話し合いを拒否し、讒言をもって権力者を動かし、大聖人に迫害を加え、命をも奪おうとしたのである。
それでも大聖人は、「願くは我を損ずる国主等をば最初に之を導かん」(御書五〇九ページ)と、自身に大弾圧を加えた国主や僧らを、最初に成仏に導いてあげたいと言われている。そこには、慈悲と寛容にあふれた仏法者の生き方が示されている。
人びとを救おうとする、この心こそが、私たちの行動の大前提なのである。