小説「新・人間革命」

〈小説「新・人間革命」〉 誓願 六十九 2018年6月16日

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 法悟空 内田健一郎 画 (6399)

 学会では、葬儀についても、日蓮大聖人の教えの本義に立ち返って、その形式や歴史的な経緯を探究し、僧を呼ばない同志葬、友人葬が行われていった。
 日蓮大聖人は仰せである。
 「されば過去の慈父尊霊は存生に南無妙法蓮華経と唱へしかば即身成仏の人なり」(御書一四二三ページ)
 「故聖霊は此の経の行者なれば即身成仏疑いなし」(同一五〇六ページ)
 これらの御書は、成仏は、故人の生前の信心、唱題によって決せられることを示されている。僧が出席しない葬儀では、故人は成仏しないなどという考え方は、大聖人の御指導にはない。
 また、戒名(法名)についても、それは、本来、受戒名、出家名で、生前に名乗ったものである。大聖人の時代には、死後戒名などなく、後代につくられた慣習を、宗門が受け入れたに過ぎない。戒名は、成仏とは、全く関係のないものだ。
 大聖人の仏法は、葬式仏教ではなく、一切衆生が三世にわたって、幸福な人生を生きるための宗教である。
 各地の学会の墓地公園は、そうした仏法の生命観、死生観のもと、皆、平等で、明るいつくりになっている。
 学会の同志葬、友人葬が実施されると、その評価は高かった。学会員ではない友人からも、絶讃の声が寄せられた。
 「葬儀は、ともすれば、ただ悲しみに包まれ、陰々滅々としたものになりがちですが、学会の友人葬は、さわやかで、明るく、冥土への旅立ちに、希望さえ感じさせるものでした。創価学会の前向きな死生観の表れといえるかもしれません」
 「今は、なんでも代行業者を使う。葬儀で坊さんに読経してもらうのは、そのはしりでしょう。しかし、自分たちで、故人の冥福を祈ってお経を読み、お題目を唱える。皆さんの深い真心を感じました。これが、故人を送る本来の在り方ではないでしょうか」