小説「新・人間革命」

〈小説「新・人間革命」〉 誓願 五十四 2018年5月29日

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 法悟空 内田健一郎 画 (6384)

 山本伸一が、オスロ国際平和研究所のルードガルド所長と会談した十三日、東京・墨田区の寺では、学会と宗門の連絡会議が行われた。学会からは、会長の秋月英介らが、宗門からは、総監の藤本日潤らが出席した。
 連絡会議が終了しようとした時、総監が封筒を秋月に差し出した。前月の十六日に行われた、学会創立六十周年を祝賀する本部幹部会での伸一のスピーチについて、入手したテープに基づいて質問書を作成したので、文書で回答してもらいたいというのである。
 唐突にして性急な要求であった。学会の首脳たちは、宗門側の意図がわからなかった。
 秋月は、何か疑問があれば、文書の交換などという方法ではなく、連絡会議の場で話し合うよう求めた。総監は、考え直すことを約束し、文書を持ち帰った。
 しかし、三日後の十二月十六日付で、宗門は学会に文書を送付した。「到達の日より七日以内に宗務院へ必着するよう、文書をもって責任ある回答を願います」とあった。
 伸一のスピーチは、世界宗教へと飛躍するための布教の在り方、宗教運動の進め方に論及したものであった。だが、その本義には目を向けぬ、一方的な難詰であった。
 そして、伸一が、ベートーベンの「歓喜の歌」を大合唱していこうと提案したことについて、“ドイツ語で「歓喜の歌」を歌うのは、キリスト教の神を讃歎することになり、大聖人の御聖意に反する”などと、レッテルを貼ったうえでの質問であった。
 十二月十六日、伸一は、第一回壮年部総会を兼ねた本部幹部会に出席。この日が、ベートーベンの誕生の日とされ、生誕二百二十年に当たることから、楽聖の“わが精神の王国は天空にあり”との毅然たる生き方に言及した。
 なぜ、べートーベンが、苦しみのなかで作曲し続けたのか。自身がつかんだ歓喜の境涯を、未来のため、不幸な貧しき人びとのために分け与えたかったからである――それが伸一の洞察であった。まさに、この大音楽家の一念は、学会精神に通じよう。