小説「新・人間革命」

〈小説「新・人間革命」〉 誓願 三十九 2018年5月11日

 法悟空 内田健一郎 画 (6369)

 山本伸一は、第三代会長辞任から十余年、世界平和の道が開かれることを願い、広宣流布の大潮流をつくらんと、走りに走り、語りに語ってきた。
そのなかで世界は、一つの大きな転機を迎えようとしていた。東西冷戦の終結である。
世界を二分することになる、東西両陣営の対立の端緒は、第二次世界大戦末期の一九四五年(昭和二十年)二月、クリミア半島南部のヤルタで行われたヤルタ会談にある。ここで、連合国であるアメリカのルーズベルト大統領、イギリスのチャーチル首相、ソ連のスターリン首相が、戦後処理、国際連合の創設、ソ連の対日参戦などについて話し合い、協定を結んだのである。
これによって、戦後の国際秩序の枠組みがつくられ、ヨーロッパは、アメリカを支持する資本主義の西側陣営と、ソ連を支持する社会主義の東側陣営に分かれていった。そして、ソ連は世界の社会主義国化を進めようとし、一方のアメリカは世界の国々を自国の影響下に置こうと、戦後、両者の核軍拡競争が続いていったのである。
核を保有する両国の、直接の戦争はないことから、「冷戦」と呼ばれたが、そこには、常に「熱戦」になりかねない危険性があった。
両陣営の対立は激化し、一九六一年(昭和三十六年)には、東西に分割されていたドイツのベルリンに壁がつくられ、市民の自由な行き来が禁じられた。
また、六二年(同三十七年)のキューバ危機は、米ソの全面核戦争に発展しかねない、一触即発の状況にあることを痛感させた。
さらに、東西の対立は、ベトナム戦争のように、アジアをはじめ、世界に広がり、悲惨な戦争をもたらしていったのである。
しかも、同じ社会主義陣営のなかで、ソ連と中国の間に紛争が起こり、対立は、複雑な様相を呈していった。
分断は分断を促進させる。ゆえに、人間という普遍的な共通項に立ち返ろうとする、統合の哲学の確立が求められるのである。

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