法悟空 内田健一郎 画 (5982)
山本伸一は、全青連代表団の団長を務めた高占祥より七歳年長であった。伸一は彼を“若き友人”として尊敬し、日本で結ばれた二人の友情は色あせることはなかった。
日中国交正常化二十周年にあたる一九九二年(平成四年)の錦秋、伸一は第八次訪中を果たす。その折、中国文化部から、伸一が両国の文化交流事業を推進、貢献してきたことに対して、授賞第一号となる「文化交流貢献賞」が贈られている。
この授与式で証書を授与したのが、文化部常務副部長(副大臣)となっていた高占祥であった。彼は、詩歌、書道、写真への造詣も深く、記念として伸一に、「一衣帯水 源遠流長」と認めた書を贈っている。
高占祥は、その後、全国政協委員、中国芸術撮影学会会長、中国文学芸術界連合会党組書記、中華文化促進会主席などの要職を担い、さらに中国の文化事業の発展に力を注いでいくことになる。
また、著書も『文化力』をはじめ、『社会文化論』など数多い。
伸一との間では、その文化力をめぐって意見交換を重ね、二〇一〇年(同二十二年)から約一年間にわたって、月刊誌『潮』誌上に対談『地球を結ぶ文化力』を連載。一二年(同二十四年)に単行本として出版された。人類を結ぶ平和の力は文化力にあることをテーマに、日中の交流の歴史や芸術、文化、宗教など、多岐にわたる語らいが展開されている。
会長辞任を決めた伸一の心は、既に世界に向かって、力強く飛び立っていたのだ。
彼は、アジアをはじめ、各地でくすぶる戦火に胸を痛め、仏法者として、人間として、今こそ、「平和の道」「人類融合の道」を開かねばならぬと決意していた。また、それは、世界の指導者、識者が心を一つにして立ち向かうべき最重要課題であると考えていた。
伸一は、巍々堂々たる大山のごとく、未来の大空を見すえていた。周囲の囂しい喧騒は、風に揺れる樹林のざわめきにすぎなかった。