【御書本文】
兄弟にもすてられ同れいにもあだまれきうだちにもそばめられ日本国の人にもにくまれ給いつれども、去ぬる文永八年の九月十二日の子丑の時日蓮が御勘気をかほりし時馬の口にとりつきて鎌倉を出でてさがみのえちに御ともありしが、
一閻浮提第一の法華経の御かたうどにて有りしかば梵天帝釈もすてかねさせ給へるか、仏にならせ給はん事もかくのごとし(四条金吾殿御返事p1184 n1605)
【通解】
(あなたは)兄弟にも捨てられ、同僚にも敵視され、江間家の子弟からもいじめられ、日本国の人々にも憎まれてきた。けれども、去る文永八年の九月十二日の子丑の時刻に日蓮が御勘気(竜の口での斬罪)を蒙ったさいに、馬の口にとりついて鎌倉を出て、相模の依智まで供をしてこられたことは、世界第一の法華経の味方をしたのであるから、梵天、帝釈も捨てられなかったのであろう。仏におなりになることも、これと同じである
【先生の指導から】
金吾の壮年時代は、正法の信仰ゆえに、迫害の連続であった。絶えず「四面楚歌」のような状態にあった。兄弟すらも味方ではなかった。
もとより、難は覚悟のうえである。法華経に厳として説かれるごとく、大聖人が繰り返し仰せのごとく、妙法を実践すれば、難は絶対に避けられない。金吾の一身に雨、嵐と攻撃が降り注いだこと自体、大聖人のまことの門下である証であった。
迫害があればあるほど、金吾は「負けじ魂」を燃やした。”不惜身命”こそ信仰の真髄である。命をも惜しまぬ者が、悪口や圧迫など、何を恐れよう。暴風は、崇高なる信心の炎を、いやまして大きくかきたてるだけである。
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