本日の御書

本日の御書 私ならざる法門を僻案せん人は偏に天魔波旬の其の身に入り替りて人をして自身ともに無間大城に堕つべきにて候つたなしつたなし(四菩薩造立抄p989 n1340)

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【御書本文】
私ならざる法門を僻案せん人は偏に天魔波旬の其の身に入り替りて人をして自身ともに無間大城に堕つべきにて候つたなしつたなし(四菩薩造立抄p989 n1340)

【通解】
大事な法門を曲げて考える人はひとえに天魔波旬がその身に入り替わって、他人と自身とともに無間大城に堕ちてしまうのである。愚かなことである。

【先生の指導から】
日亨上人は、「若し薄信(信心が弱く)臆病にして、成るべく法難を招かぬ様に、(身口意の)三業を世間的に謹慎(言行を慎む)にして、大言壮語もなし得ずして、非日的に行動する人あらば、それは頗る大聖人の御本意に遠ざかる、魔事怯業(魔であり卑怯な行動)であると見なければならぬが、そう云ふ人は聖人の門葉には無からうと思ふ」と述べられている。
「日蓮が如く」と正反対の「非日蓮的」な魔事─「薄信」「臆病」で法難を恐れ、広布への行動なき者は、門下ではない。いわんや今の宗門は、「非日蓮的」どころか「反日蓮大聖人」となってしまった。