【御書本文】
又天台大師の御弟子に章安と申せし人は万里をわけて法華経をきかせ給へり、伝教大師は二千里をすぎて止観をならい玄奘三蔵は二十万里をゆきて般若経を得給へり、道のとをきに心ざしのあらわるるにやかれは皆男子なり権化の人のしわざなり、今御身は女人なりごんじちはしりがたしいかなる宿善にてやをはすらん(乙御前母御書p1223)
【通解】
天台大師の御弟子の章安という人は、万里の道を踏み分けて法華経を聴かれた。伝教大師は二千里を経て摩訶止観をならい、玄奘三蔵は二十万里も旅して般若経を得られた。
道の遠さに、志があらわれるのであろうか。彼らは皆男子である。仏菩薩の化身した人の行為である。今あなたは女人である。権実の教判は知りがたい身である。いかなる宿縁を持った人なのであろうか。
【先生の指導から】
求道と弘通の仏法者たちは、遠き道のりを、ものともしなかった。ただ民衆救済の大法を求めて、万里の道を歩きに歩いた。その道は、仏法探求の大道であり、仏法弘通の大道であった。
行動なくして仏法は存在しない。広宣流布のために、どれだけ動いたか─そこに本当の信心が現れるのである。
求道の道、弘通の道。この「道の遠さ」は、そのまま深い「志」の現れである。
「心こそ大切」である。真実の志は、必ず「行動」として現れる。逆に見れば、「行動」なき信心には真の「志」はない。
役職や立場ではない。「行動」という姿そのものに、その人の信心の厚薄が端的に現れるといえる。
広宣流布のために現実に行動している人こそが最も尊いのだ。その人を大切にすることを、リーダーは決して忘れてはならない。