2月のある朝、新幹線の「こまち号」で、車窓に雪原が続く秋田県を横断した。暦の上では春になったとはいえ、まるで時が止まり、音も雪中に吸い込まれたような、静寂な冬の情景だった▼時折、はるかに民家が見え、そこへ続く一本道に人の通った跡が、かすかに残る。足跡なら徒歩、1本の線ならオートバイか自転車で、2本なら車といったところだろう。横殴りの吹雪にあらがいながら進む人の心の強さとけなげさを思い、胸が熱くなった▼65年前の、若き池田先生の「二月闘争」で結実した弘教201世帯のうちの一人だという壮年に、話を聞いたことがある。彼は出稼ぎで東京にいた昭和27年2月に入会。その後、故郷の東北に戻った▼厳しい自然環境のもとでの農業は、一家が食べるだけで精いっぱい。常に家計は苦しかった。それでも胸中は広布のロマンに燃えていた。大雪の中、はぐれないように荒縄で体を結び、同志と数珠つなぎで学会活動に歩いたこともあったという。現代の状況からは想像もつかない話ばかりだった▼壮年の広布の“足跡”は、今や後継の同志の活躍、地域広布の発展と花開いた。厳寒の鍛えなくして、爛漫の春は訪れない。“現実”の大地で、“忍耐”を滋養にした時、花は必ず咲く。(城)