勤行・唱題は、自分自身と大宇宙とが交流しゆく儀式です。御本尊を根本として、自分という「小宇宙」の中に「大宇宙」の生命力を、生き生きとくみ上げる作業が勤行です。
自分は生きている。生命がある。それと同じく大宇宙も一個の巨大な生命である。生命即宇宙であり、宇宙即生命である。私たち人間も、大宇宙と同じく一個の生命であり、「小さな宇宙」なのです。
ある学者は「人間の体は、星と同じものでできている」と言い、人間を「星の子」と呼びました。「小宇宙」です。物質だけでなく、宇宙の「創造と破壊の作用」「生と死のリズム」も、わが身を貫いている。また重力の法則、エネルギー保存の法則、その他、ありとあらゆる法則も、一個の小宇宙にかかわっている。
地球が太陽の周りを365日と5時間48分で1周する。厳然たる秩序がある。人体の細胞も60兆と言われるが、それらが毎日、整然と、秩序正しく運行しているのが、健康な生命の状態です。不思議であり、絶妙な働きです。地球が太陽の周りを回る。ちょっとでも軌道がずれたら大変です。いな、地軸が少し傾いただけで、すべての生物は絶滅の危機を迎えるでしょう。それほど微妙であり、しかも厳然として、大宇宙即生命の「法則」がある。小宇宙も同じです。
こういう「目には見えないが実在する法」を探究したのが科学であり、その成果を応用してつくったのが、さまざまな機械です。たとえば、船は、見えない「浮力」の法則を応用してつくったものであり、飛行機なら「揚力」の法則です。ラジオ・テレビは「電波」という法則などでしょう。それらは宇宙の部分的な法則です。
それに対し、仏法は、物心のあらゆる法の根本にある「生命の大法」を探究し、発見したのです。それが「妙法」です。妙法は、目には見えない。しかし厳然と実在する。この妙法の力を引き出せるよう、日蓮大聖人が御本尊を御図顕してくださったのです。だから戸田先生は「もったいないことであるが、御本尊は幸福製造機にたとえられる」と、わかりやすく教えてくださった。
御本尊に勤行・唱題することによって、小宇宙のわが身が、見事に大宇宙と調和していくのです。崇高な儀式です。自分自身の中にある「宝の蔵」を開き切っていく作業です。わが生命の大地に、生命力のわき出ずる泉を掘っているのです。こんこんと、くめども尽きぬ智慧と慈悲と勇気の源流を掘っているのです。
「宇宙」も、その本体は南無妙法蓮華経です。「わが生命」も南無妙法蓮華経の顕れです。そして「御本尊」も南無妙法蓮華経の御当体です。三者とも南無妙法蓮華経であり、本来、一体なのです。ゆえに南無妙法蓮華経と唱えゆく時、御本尊を中心にして、わが生命と宇宙が、きちっとギアをかみ合わせ、幸福の方向へ、幸福の方向へと回転を始めるのです。春夏秋冬、365日、大宇宙のリズムに合致して、どんな悩みも乗り越えられる「生命力」と「智慧」と「福運」を発揮していける。「仏界」という生命力のエンジンを爆発させながら、行き詰まりを打開し、前へ前へ、希望の方向へ、正義の方向へと、勇んで走っていけるのです。