微塵の疑いもはさまない、御本尊に対する絶対の確信のみが、この無明惑を打破する利剣であるとの仰せである。したがって、われわれの信心とは、瞬間瞬間が己心の第六天の魔王との厳しい戦いであり、これを打ち破って勝ち抜いていかなければならないのである。
浅はかな信心で、凡夫の智慧で、これぐらいのものか、などと思っては大間違いである。信心が深まれば深まるほど、行学を重ねれば重ねるほど、御本尊の偉大さ、功徳の大きさに、ただただ驚嘆し、その福運のすばらしさに感激するのである。
微塵の疑いもはさまない、御本尊に対する絶対の確信のみが、この無明惑を打破する利剣であるとの仰せである。したがって、われわれの信心とは、瞬間瞬間が己心の第六天の魔王との厳しい戦いであり、これを打ち破って勝ち抜いていかなければならないのである。
浅はかな信心で、凡夫の智慧で、これぐらいのものか、などと思っては大間違いである。信心が深まれば深まるほど、行学を重ねれば重ねるほど、御本尊の偉大さ、功徳の大きさに、ただただ驚嘆し、その福運のすばらしさに感激するのである。