池田先生とSGIメンバーの出会いをつづる「虹を懸ける」。今回から2回にわたり、イギリスのスコットランドで刻まれた共戦のドラマを紹介する。
池田先生がスコットランドを訪れたのは、1994年。
6月13日の午後3時半。池田先生を乗せた飛行機がグラスゴー空港に到着した。
この日を待ち望んでいたスコットランドの友。その陰には、草創の同志の粘り強い広布の戦いがあった。
――スコットランド広布の始まりは1970年代。当時、中心者だったアケミ・ポーチャスさん(方面総合婦人部長)とリチャード・ポーチャスさん(方面総合長)の夫妻のほか、同志は数人しかいなかった。
草創の友は、地道な活動を続けた。84年8月には、さらなる広布伸展を目指し、週1回の勤行会を始める。
しかし、続けることは簡単ではなかった。“いつの日か先生をスコットランドにお迎えしよう”との思いは共有していたが、参加者は回を重ねるごとに減っていった。
ある日、アケミさんは宣言した。「一人になっても私は続けます」
その言葉に奮起した草創の同志は、スコットランド中を弘教に、訪問・激励にと歩いた。年を追うごとに広布の水かさは増した。
そして94年、先生の訪問が実現したのである。その前の週で、勤行会はちょうど500回目を迎えていた。
午後4時過ぎ、先生がグラスゴー郊外のローモンド湖に着くと、スコットランドの伝統楽器バグパイプの音色、そして民族衣装をまとった男女青年部が歓迎した。
「やっと来られました。皆さんのおかげです」「ありがとう。ありがとう」――先生はスコットランドの友をねぎらうように握手をしていった。
日本の北海道より北に位置するスコットランド。夏も涼しく、日陰は寒いほどだ。加えて年間を通して、雨の日が多い。
「あの日はスコットランドでは珍しく、雲一つない快晴でした」。当時、先生の一行に同行したキース・オースティンさん(副方面長)は語る。
さらに、ローモンド湖畔にある宿舎での先生の姿を振り返った。
「先生は、他の宿泊客に気さくに声を掛け、迷惑を掛けていないかどうか気を配られていました。“目の前の一人”を大切にする仏法者の振る舞いを学びました」
オースティンさんは小・中学生の時、いわゆる“問題児”だった。学校から追い出された後、10年ほどヨーロッパ中を放浪した。
その中で、勉強の必要性を痛感。一冊の本を読み通したことすらなかったが、努力を重ね、大学へ進学した。
SGIと出あったのは、大学在学中のこと。“自分さえよければいい”と思っていたが、そうした生き方に何か満たされないものも感じていた。だからこそ、人に尽くすSGIメンバーの生き方に触れて驚いた。“自分も人の役に立つ人間になりたい”と、83年に入会した。
その後、大学を中退し、学習障がいを抱える人々や犯罪者の家族の支援活動に関わるようになった。
オースティンさん自身、多くの苦難の嵐に襲われた。きょうだい全員が次々と早逝した時には、亡くなるたびに、きょうだいの分まで生き、充実の人生を歩むとの誓いを深めた。62歳でソーシャルワーカー(社会福祉士)の資格を取得。60代後半まで働いた。
リタイアしたオースティンさんは現在、貢献の人生を歩める喜びを周囲に語り広げている。
ローモンド湖や宿舎での先生との出会いを原点としているスコットランドの友は少なくない。
ノーマン・シャクルトンさん(支部長)もその一人。
シャクルトンさんが仏法を知ったのは、70年代半ば。当時、音楽の道を志していた。ジャズ界の巨匠であるウェイン・ショーター氏やハービー・ハンコック氏が実践する信心と聞いて興味を持ち、82年に入会した。
自身の使命を果たせる仕事に就きたい、と願っていたシャクルトンさん。学会活動に励む中、音楽関係のボランティアセンターで、若者支援のワークショップを企画・運営する仕事を勝ち取った。
やがてセンターの経営や管理を任されるように。だがあまりの責任の重さに嫌気がさすようになっていた。
そんな折、先生がスコットランドへ。
シャクルトンさんは陰で支える役員のリーダーとして任務に当たり、ローモンド湖で先生と出会いを刻んだ。
シャクルトンさんは振り返る。
「ずっと胸中で題目を唱えながら任務に就いていました。何をしてもすぐに諦めてしまう――そんな自分に自信を持てずにいたからです。でも先生は、そんな私を心からたたえてくださいました」
この時、シャクルトンさんは“何があっても絶対に先生の期待に応えていく”と一念を定めた。
毎朝早く起き、2時間の題目をあげてから出勤した。気付けば、20年もの間、働き続けることができた。
「“先生と共に”との思いに立って行動する中で、自分の殻を破ることができ、自尊心を持つことができました」と語るシャクルトンさん。
現在は、長年の夢だったギタリスト、歌手として活躍。「声仏事を為す」(御書708ページ)との御聖訓のままに、自分らしく仏法を語り広げている。
パトリシア・ロジャーズさん(婦人部本部長)は、先生が一人一人のスコットランドの友に合掌し、頭を下げていた光景が忘れられない。
当時、教職に携わりながらイギリスSGIの機関誌「UKエクスプレス」(当時)の編集に関わっていた。
「“一人の人を、ここまで大切にするのだ”と、先生が教えてくださったように感じました」
ロジャーズさんはドイツ生まれ。10歳の時、母親に連れられ、スコットランドにやって来た。
その後、最愛の母親の死などを経験。人生に絶望しかけた時、信心に出あった。
仏法の哲学には興味があった。だが、唱題については、なかなか実践できない。
そんなロジャーズさんのもとを、何度も訪ね、励ましてくれたSGIメンバーの女性がいた。
ある日、彼女がロジャーズさんに言った。
「祈りで大切なのは、時間でも回数でもないのよ。たった10分でも真剣にあげれば全てが変わるわ」
仏法は行動なんだ――ロジャーズさんはハッとした。ロジャーズさんは翌朝から勤行を実践。82年に入会した。
入会したからといって、悩みがなくなったわけではない。変わったことは、何があっても題目をあげ、現状を一つ一つ打破していくうちに、苦難も全部、前進の糧にする自分へと成長できたことだ。
ロジャーズさんは言う。「題目をあげると、先生や同志の支えを思い出します。そして、感謝の心と壁を乗り越える勇気が湧いてくるのです」
仕事をリタイアして8年。ロジャーズさんは今、広布後継の青年部の育成に奮闘している。
◇
先生の訪問後も続けられた勤行会。2003年には、1000回目を迎えた。
かつて先生は、スコットランドの友が祈る姿勢をたたえ、次のようにつづった。
「祈り――それは、あきらめない勇気だ。自分には無理だと、うなだれる惰弱さを叩き出す戦いだ。“現状は変えられる! 必ず!”。確信を命の底に刻み込む作業だ。
祈り――それは恐怖の破壊なのだ。悲哀の追放なのだ。希望の点火なのだ。運命のシナリオを書きかえる革命なのだ」
「祈り――それは我が生命のギアを大宇宙の回転に噛み合わせる挑戦だ。宇宙に包まれていた自分が、宇宙を包み返し、全宇宙を味方にして、幸福へ幸福へと回転し始める逆転のドラマなのだ」
現在、3本部7支部34地区の陣容となったスコットランドのSGI。その広布伸展の礎となってきたのは、一人一人の、自らの可能性を諦めない強き祈りである。
この確信を胸に、スコットランドの友は、きょうも広布拡大に走る。