


死身弘法の覚悟とは、“人生の根本目的は広布にあり”と決めることだ。そして、名聞名利のためではなく、人びとに仏法を教えるために、自らの生活、生き方をもって、御本尊の功力、仏法の真実を証明していくのだ。

本日の御書6315

「聖教新聞」の配達には、それ自体、折伏に通ずる功徳が現れる。永遠の生命から見れば、絶対に「勝利者」となる。究極的な幸福境涯となることは間違いない。 「配達即折伏」「配達即広宣流布」「配達即友好活動」「配達即拡大」である。

小さな火が次から次へと枯れ草を燃やし尽くしていくように、一切の悩みや不安や過ちが燃え尽きていくのです。自行化他の唱題の火で解決していく信心の挑戦をやめなければいつしか根深い宿業も燃え尽き、

この臨終の時に、いかなる一念を持つか。悔いなき勝利の「生」は、安穏な「死」を約束します。そして、大満足の「死」が、次の「生」への晴れやかな旅立ちを決定させます。臨終の時の今世を総括する一念が、どうであるか。その因が未来の果報をもたらす。ここに「臨終正念」の意義があります。

〈名字の言〉 2018年11月14日 100年前、一つの新語が生まれた。「次ぎから次ぎの駅へと、ぶっ通し又は交替で競争する」。こう説明された語が「駅伝」である

幸福は、他から与えられるものではない。自分でつかむものだ。幸福への扉のカギは、自分自身が持っている。

十年先に想像もつかない実証ができる。今の何十倍何百倍の革命ができると確信してもらいたい。想像もつかない功徳を受けます。
